ったとき、彼女の「施療室にて」が文学としてもった新しい意味は貫徹されるのである。
窪川稲子は、佐多稲子となった。この一つのことに、文学以前の婦人として、母としてのこの作家の未だ語らない幾多の思いがある筈である。彼女一人の思いとしてばかりではなく、「くれない」の女主人公の、後日につづく思いとして。よく生きようと努力しつづけているすべての女の思いとして。
自分というものに与えられた人間的可能を伸ばしひろげようとする熱心に燃え、女の消極を克服することに精魂を傾けて来た彼女は、連続した「私の東京地図」を第四回発表している。四回まで扱われた地域は、「キャラメル工場から」「ストライキと女店員」その他この作家の自伝的な作品に描かれた生活の背景となったところどころである。「私の東京地図」で、作者は、今日の日本の社会と今日の自身の生活と、このかつてのたたかいの跡である地域の思い出とを、明日へのどういう能動の方向で結び合わせようとしているのだろう。これまでの作品に描かれた下町、池の端、日本橋それらはどれも、そこにくりひろげられている発展のない小市民の環境とその中から脱出しようともがく若い女性の苦悩の場面として、捉えられていた。名所図絵風に、そこで有名であった老舗のかんばんや風俗をなつかしむ対象ではなくて、それらの風景にも若い女の心の苦しさで挑む風物として作者に存在した。久保田万太郎ではないこの作者が、女および作家としてなみなみでない過程を経て到達した今日という日、稚く浄い「キャラメル工場から」が、又新しく出版されてゆく今日という時代の動きの中で、よもや、己れの純真な生のたたかいのたたかわれた場所場所を、名所図絵として描き終ろうとするのではないだろう。やがて、描こうとするテーマが、作者にとって、その女の心に、その人間としての心に余り重く、痛ましくあるから、そのために、かえって作者は、遠くから、ゆっくり、その部分へ近づいてゆこうとしているのかもしれない。けれども、作者も読者も、この寸刻をゆるさず前進する情勢のうちに生きていて、特にこの作者は、急速に、戦争中の自身の奴隷の言葉を、作品によって、自身と人々の精神のうちに訂正しなければならない責任がある。「女作者」のうちに云われているとおり、逆用された文学の善意をしっかりわが手にとり戻して、この作者の文学のうちに自分たちの善意と人間意欲の手が
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