ム文学をもって出場して来た。織田作之助、舟橋聖一、その他の作家の作品は、果して、文学というものの領域に入り得るかどうかという程度のもので現れた。同時に、文化の面における戦争協力の追及が、政府の保守、温存主義につれて緩漫なのがわかって来ると、はじめ、ジャーナリズムも本人たちも気配をうかがっていた躊躇をすてて、種々の作家が段々そのまま、再び活動を開始した。一寸挨拶に手拭をくばる、という風に、その作品の中に真実の浅い、思いつきの自己批判の数行を加えながら。
 紙の不足と新円の問題とは、ジャーナリズムと作家とを、ある意味では恥知らずとした。営利を主眼とするジャーナリズムはそれでよいとして、作家自身の問題とし、日本の文学の課題とし、この既成作家の殆ど全部隊が、血によごされたペンのまま、いかにも自主性の不足な日本の文学者らしく、お互にはあのときのことはあのときのこととしましょう、という風に今日動いていることは、何を意味しているだろう。それは十二年間に殺された現代文学の亡霊の登場にすぎない。文学精神の精髄において、社会と人間の真実を追求しようとするその精髄を喪った影の、彷徨にすぎない。これから文学に出発しようとする若い世代は、これらの亡霊的な影に、執拗に、巧妙に絡まりつかれないように自分を育てることが肝要である。
 作家の出版企業家風な動きは、株式会社鎌倉文庫に顕著であり、『婦人文庫』の中心的な一、二の婦人作家にも見られる。新円は彼等、彼女等を賢くして、利潤の再生産ということを理解させつつある。
 一方に、戦争の永い間、理性を封鎖されて暮した青年の間に、民主主義という、近代の社会政治の形態と本質との理解がのみこめず、暴圧の期間に蒙った精神の傷痕に拘泥してしか、社会と個性の発展を考えられない不幸な一握りの人々もある。
 文学の展望は、このように錯雑し、穢物に充ちてもいる。しかし、刻々に動く歴史の営みは偽りなくて、今日の紛乱と矛盾の下から、新しい日本の文学の、若く、愛すべき息づきが聴かれはじめた。『黄蜂』に「暗い絵」を連載している野間宏、『新日本文学』に「町工場」を発表した小沢清、『世界』に「年々歳々」を書いた阿川弘之。これらのまだ試作中と云える新人たちは、進歩的な知識人として、又勤労者として、既成の作家たちとは、全く異った素質に立って文学に歩み出している。たとえば「町工場」は、プロ
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