ていないものについての客観的な認識を欠いているために、「煉瓦女工」「長女」の作者は、無方向に放置されて、一部のジャーナリズムの消耗にまかせられている。
 私たち日本の婦人作家は、嶮しい歴史の三角波を、一人一人の楫につけつつ、しかもやっぱり、ひたむきに文学の仕事をつづけてゆくであろう。一蹉跌ごとに粉飾ははぎおとされる。やがて、偽瞞のない婦人の社会生活とその文学とについての関係が理解されて、歴史の中にそのような条件を創ってゆくよろこびが芸術の美感と一致したとき、そこに咲く花として新しい文学が匂いたかくあらわれるにちがいない。そのときこそ男性と女性との間にも新しく美しい関係がつくり出されてゆく。絶望を拒んで、私たちは刻々のうちに社会と自分の全可能をとらえ、力をうちこめてわが生と文学とをすすめて行こうとしているのである。
[#地付き](一九四六年十一月)

     十一、明日へ
          一九四一―一九四七(昭和十六年―二十二年)

 一九三九年代(昭和十四年)に、婦人作家の活動が特別目に立ったということは、決して日本文学の興隆を語る現象ではなかった。反対に、日本文学が、三二年来の戦争強行と絶対主義的天皇制の専制に圧迫されて、社会、人生に対して批判と主張とをもつ人間らしい強力な芸術としての機能を喪って来た最後の小さい焔のきらめきのような本質のものであったことは、先にふれた。
 一九三八年三月(昭和十三年)に石川達三が中央公論に「生きている兵隊」という小説をかいて発禁になった。これが、文学を文学らしいもののまま戦争と接合させようとした作品の殆ど最後のものであったと云える。石川達三は、当時所謂文壇に話題となっていた知性の問題、生と死の問題、芸術と科学の問題、行為の社会的価値判断の問題などを、そのまま中支辺の戦線へもち出し、その塹壕の中に応召して来ている誰、彼の前身に応じて、一つ一つそのテーマを背負わして、それをそれらの人間性のテーマとして、戦争という状況の裡に、その相剋や懐疑やを描こうとしたらしかった。が、この作品の試みは、窮極において、石川達三が設定した人間性の支柱としての諸問題が戦争そのものの野蛮な行動性に圧倒されて、何も考えない兵隊になってしまうこと、戦争とそれに伴う様々の非人道の行為を、非人道だと思いもしない兵になってゆくことを、「生きている兵隊」の現実とし
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