文学との実質をもったのであった。
 このようにして、窪川稲子が清潔、活溌な創作活動を旺盛にはじめたことは、ただ偶然、親切な男の友達たちがその周囲にいたから、というばかりの理由であったのだろうか。友達であるそれらの男の人たちの考えかたと感情との中に、婦人の生活とその創造力について新しい理解が自覚されていた、ということにこそ重大な意味があった。
 明治以来、卓越した作品活動を行った婦人作家、詩人はある。一葉は直接『文学界』に属していなかったけれども、擡頭する自然主義の文学潮流に対して、古く新しい『文学界』のロマンティシズムの代表者であったし、『明星』は、晶子の短歌なしにその篝火を輝やかすことは出来なかった。田村俊子がその作品に感覚世界における女の自我を主張したことも、注目されるべき歴史的な意味をもっている。けれども、これらの婦人作家、詩人のうちの一人も、自分の文学理論というものをもち、そのために活動したということはなかった。一葉も晶子、俊子も、みんな純一に勁く創作したけれども、その態度は全く内在的で、自分を導く文学理論としてまとまったものはもたなかった。晶子が「歌のつくりかた」について語っている言葉には、明星派に流れ入った彼女自身の物語はあるが、明星派の芸術理論は、与謝野寛のもち場として、はっきり区分されている。一人のスタエル夫人も、ジョルジ・サンドも、日本の近代文学はもっていなかった。客観的にはいつも偶然に、その人の才能と好機との偶中によって、婦人の創造性は既成の文学のうちに登場して来ていたのであった。
 社会的な基盤において芸術を理解し、階級の解放によってより人間らしい生存に達しようとする表現、そのうた、その光る矢として芸術をみるプロレタリア文学の運動は、富貴に対する庶民の貧しさを貧しさのままに、ルンペンの詩として肯定しなかったとおり、この社会で抑えられている大衆のその中で更に圧えられている婦人と青年の芸術の可能性を、重大に考えたのは自然であった。自分たちの陣営から、独自な女選手を送り出そうという個人的な或は党派的な利己的な動機からではなく、人民の半分を占める働く女の脈動として、解放のためにすすむ勤労者の声に合わせてうたう女の声々として、あらゆる芸術面に婦人の能力を導き出そうとした。
 プロレタリア文学運動の中には、詩人として北山雅子、一田アキ、後藤郁子、東園満智子
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