の集団に属し、後にプロレタリア文学の領域に移った作家片岡鉄兵は当時の有様を、率直に次のように云っている。「当時の文壇の実状として、私たちは、どんなに苦しくても既成文壇に順応して行っては、その亜流として埋れる他はないのだから降参するわけには行かなかったのである」けれども、この新感覚派の運動は「敗北した。世界観の確立において自信ある根拠を持たなかったからである」と。
新感覚派を生み出した、進歩性のかけた中流気質のインテリゲンツィアと並んで、更に浮動的であった層が「知識の遊戯」としての探偵小説を勃興させ、大衆文芸を興隆させて行ったことも、当時の日本の社会と文化・文芸にあらわれはじめた歴史的な分裂を語って注目をひくところである。そして「知識の遊戯」である探偵小説の作家として、日本にはイギリスのように婦人作家が現れなかった事実も注目される。
この時代になって、日本にはアメリカ、ソヴェト・ロシアなどの新しい文学作品の翻訳が盛に出版されるようになった。アプトン・シンクレアの「ジャングル」「ボストン」、エルンスト・トルラーの戯曲、リベディンスキーの「一週間」、ロープシンの作品など。特にシンクレアの作品は当時の日本の無産階級文学運動の進展に深く影響した。
さきにのべたように、宮嶋資夫の労働文学論にしろ、前田河広一郎その他の人々の作品にしろ、自然発生的な圧迫されているものの痛苦と反抗を訴えたもので、シンクレアの作品のように客観的に、資本主義社会の機構の代表的な部分におこっている事件を各専門面から調査して、それを作品化すというような着眼はされていなかった。労働するものの文学であるから、自然工場が描かれ、労働の姿が描かれるという関係にとどまっていた。ところが、一九二五年十二月(大正十四年)日本プロレタリア文芸連盟が創立される前後から生産機構に関連した「調べた芸術」の提案がされた。同時に、従来の作品批評が、批評するものの主観的な印象にだけ根拠をおく内在的な批評であったのに対して、作品批評は批評するものの主観をそのよりどころとするべきではなくて、批評するものの主観の外にある社会と文学との歴史的な現実関係の客観的真実を基準としてもつべきであると云われはじめた。そしてこの「調べた芸術」と「外在批評」を提案して、プロレタリア文学が、より客観的に社会真実にふれ得る創作態度と批評の一歩をふみつけた
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