美贅沢と対立する社会群として描いた。けれども、それらの作品の筆致、創作の方法は、これまでの旧いリアリズムを脱し得なかった。それらの作家が、執拗に現実にくいさがってそれをあばこうとする熱情、それらの作家たちの生活と文化との来歴から来る丹念さ、自己主張のつよさなどは、リアリズムの手法として云えば、志賀直哉が主観的なリアリズムに於て到達した省略整理の方法さえも押しながし、その本質は発展の方向にあるが、一応の外見は却ってリアリズムを自然主義的なところへひき戻したようなあらわれをもった。このことも文学の問題としては、或る重要な意味をもった。何故ならば、プロレタリア文学運動そのものに反撥した小市民的知識人作家たちは、主として、この文学の創作されてゆく方法に斬新さが欠けているという一点にすがって、やがて一つの文学組織をつくったから。そして、そのうちのある人々の影響は、今日まで、日本の民主主義文学の多難な伝統と並んで、様々に変化しながら次第に害毒をつよめて、いつも対立物としての存在をつづけて来ているのであるから。
 このようにして擡頭し、数歩をすすめて来たプロレタリア文学運動の萌芽に対して、武者小路実篤、中村武羅夫、生田長江などという作家は、明瞭に反対の立場を示した。これらの人々の云い分に共通なのは、芸術は階級闘争のそとに超然としているべきものであるということであった。又生田長江のように、歴史の推進力としてのプロレタリア階級の意味を理解せず、その協力者としてのインテリゲンツィアの進歩性の価値を理解せず「資本主義の社会組織によって虐圧汚毒されているのは無産階級ばかりであると考える社会観の不徹底さ」とその点に反撥した評論家もあった。
「社会主義をとりあつかった文学は、永遠性がないからいけない」(一九二一年)といった武者小路実篤は、当時「新しき村」をはじめた。人間同士が兄弟姉妹として強制のない協力生活を営み、各自がその肉体にふさわしい条件で一個の労働者としての技量を見につけ、自給自足し「個人が自由をたのしめる独立人として生きられる世界は一番いい世界」をもち来すために、「先ず自分の心がけも生活も労働もその社会にふさわしいものにし」ようと、「人間生活の研究処」としての村をはじめたのであった。この着想は世界の社会主義思想の歴史の中では十八世紀にフーリエその他の人によって試みられた空想的なユート
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