確実な文学的評価をうけた。
 時期から云えば、水野仙子は最も強く自然主義の影響のもとに生い立つ婦人作家であった。田山花袋の文学に肯定できるものを見出したから、その家に寄寓もしたのであったろう。ところが水野仙子が自身の文学の境地として花袋からうけついだものと云えば、其は決して「蒲団」の世界ではなかった。寧ろ「田舎教師」に描かれている世界である。「田舎教師」で花袋が自然と人事とを見ているあの日常性、平凡事へこまかに向けられている人生的な目差し、周囲に対して激しく挑んでゆこうとする心を、終局には武蔵野の野末にこめる霧のなかへ溶し遣るような日本の伝統的な諦観の情緒。それらをうけて、二十三歳の水野仙子は「四十余日」「娘」など書いている。
 自然主義の文学運動が、小市民の何の数奇もない日常生活の中に小説として、人生を見出してゆく可能を示したことは、婦人作家にも限られた自分のぐるりにある生活環境の中から、小説をかいてゆくことが出来るということを理解させた。つくりものの物語でない生活の描写ということを眼目とした自然主義の写実精神は、水野仙子等の文学に、過去の婦人作家たちの小説の世界とは全くちがった生活のありのままの姿を描き出させたのであった。身辺生活の描写ということが、日本の自然主義文学の消長の間ではおのずから日本の家族生活中心の生活伝統と結びついて、環境描写はよりひろい社会的生活の描写にひろげられてゆくよりも、却って益々家庭の中での身辺描写に狭ばまり縮小して行った。この過程は、フランス文学における自然主義の歴史傾向と比べて見て、少なからぬ感想をそそる。フランスの自然主義文学は、社会的な文学への道をひらいたのであったから。日本の社会と文学との土壤にうけいれられた自然主義の流れのこのような流れかたは、男の作家たちが生活環境を理解する力を社会的に拡大させ得なかった。ましてや婦人の作家たちにとって、彼女たちの置かれた環境の客観的な本質を追究するまでのような力は与えられなかったのである。
 しかし、新しい思潮の核心であった、あるがままの真実を恐れず直視しようとする精神はその狭い限界をもった日常の環境の裡でも、日本の女のおかれている状態をあるがままに女に向って展いて見せる契機をなした。現実を直視することの正しさに対して示された一般の積極的潮流は、婦人の精神と感情とを勇気づけ押し出して、狭い家
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