として考えていたのであった。
今日の到達点に立って再びこの問題が私の注意をひくのは、プロレタリア作家の間に夫婦で小説を書いている婦人作家が数人いるからである。そして、それは、ブルジョア作家の場合よりも数において多くなって来ている。これ等の婦人作家と作家である良人とは、どのような新しい社会関係の実質によって日常的に結ばれているか。私自身、良人と自分との結合の内容にもふれて、様々に感慨深く思うからなのである。
ブルジョア作家が夫婦である場合、相剋の起る理由は、わかり易いように思われる。男女のブルジョア作家が、もし今日の社会的現実として、自分たちの文学における発展の限界性の根源を、互の間の問題に止めず、階級の本質にまでふれて実感し得るなら、その作家たちは既に単純に概括される意味でのブルジョア作家ではなく、従って夫婦間の相剋もより広い社会的性質のものとしてとり上げられるようになるのではあるまいか。
プロレタリア作家夫婦にとっての関心事は、それから先に在ると私は思う。プロレタリア婦人作家の実にこまごまと粘りづよい現実の重荷の内容は、良人も作家であるためにやりにくいという割合を遙か越えて、今
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