感銘をうけた。自分の女としての一生についても考え、いつかしらぼんやり感じていたことを改めてはっきり、自分は決して作家を良人には持つまいと心にきめたのであった。
 それから後、又何程か経って、女の作家として私の持つその考えを更に内容的に多様化し確めるような一組の作家夫婦を見た。いずれも文学的公人であるから名をあげることをも許されると信じるが、その夫婦は佐佐木茂索氏夫妻である。
 何かの折佐佐木茂索氏とふさ夫人とが題材としては小さい一つの題材を二人両様に扱って書いたところ、(或は書こうとしたところ)その扱いかたの腕では、茂索氏が勝った[#「勝った」に傍点]とか、ふさ夫人がまけ[#「まけ」に傍点]たとか、単に二人をかけ合わすのが面白いというような対比のしかたでゴシップにのぼったことがあった。
 私は、その当時、田村氏の場合と違った種類で感想を刺戟された。二人ともうるさくて厭だろう。私は主観的にそう思いやって感じた。内でも外でも、二人の作家としての神経が夫婦の生活感情の中に在っては、互にくたびれるであろう。例えば、一緒に暮していれば生活の中に起った同一のことについて、妻も良人もその瞬間ああ書き
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