、ロマン・ローランは『ジャン・クリストフ』の中で非常に感覚的にまで立ち入って幾つかの面白いタイプを書いているし、ジイドなどもやはり女はよく書いていると思うんですネ。夏目漱石なんかは『三四郎』やその他の小説の中で明治時代のインテリゲンチアの女のあるタイプを書いていると思うし、現代の作家では谷崎さんも女はさまざまの型で書いていますネ。しかしどうもネ、女の作家の気持からいうとネ、まだまだ充分満足するように書かれているとはいえないで、やっぱりまだ自分たちが書かねばならぬ残されているものがあると常に考えるのはおそらく私一人ではないだろうと思いますネ。正宗白鳥さんが、女は女を十分描いていないといわれたことがあり、室生さんだったか、何かの文の中に、自分は女を非常によく書きたいと希望を洩らしていた覚えもあり、菊池寛さん、山本有三氏は現代の女の化粧とか言葉づかいの描写から進んでタイプにまで迫ろうとしていることはよくわかります。しかも不満が残るのはなぜでしょう。
そのことについていつか友達が二三人集って笑いながら話したことでしたがネ、どうも大体、男の作家は女を描く場合、自分にとってというより、男にとって
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