した言葉を、クドクドと繰返して、荒立った心持になって見たところで互の心には何が遺《のこ》るだろう。やはり持ち古された感じが、さほどの効果もなく喰い入るばかりである。
私のすることはただ一つだ。
何から先に云って好いか分らないようにしている祖母を、わきに引きよせて、私は一生懸命にたのんだ。
「どうぞそのまんまお帰しなさいまし。その方が好い」
「だって……お前!」
「いいえ! それで好いんだから。きっと好いにきまっているんだから早くそうなさいまし。よ。早く!」
祖母は不平らしかったけれども私の頼みを聴いてくれた。
「それを持ってお帰り。けれどもこんなことは、もう二度とおしでない」
と云っただけであった。
甚助は、さもこうなることをちゃんと前から知ってでもいるように、何の感情も動かされないらしい顔をして、頭を一つ下げると、自分が買ったもののように、ゆったりとかの南瓜を抱えてまだ人通りのない往還へ出て行ってしまったのである。
私は、悲しいとも腹が立つともいえない心持になっていた。
けれども幾分の安心を持って、
「私にはたった一つの南瓜で、泥棒呼わりをすることは出来ない」
と心に繰返したのである。
十
今まで、私が甚助の家族に対してしていたことは、たかが古着を遣るか僅かばかりの食物や金を遣ったくらいのことである。
ほんとに小さいことであり何でもないことである。
第三者から見れば、総てのことは、皆世間並な、誰でも少しどうかした者の考えること、することでめずらしくも尊いことでもない。
私とてもまた自分の僅かな施しから、大きな報いを得ようとか、感謝を受けようとかは、ちっとも思っていないのである。
けれども、甚助のしたことは私に軽い失望を感じさせないではいなかった。何だか情なかった。
それでも、ただ一つのことが、私を慰め力づけてくれたのである。それは、私が初めて自分の思っていた通りに自分を処置することが出来たということだ。
私は怒りっぽい。じきに腹を立てる性分である。それ故このごろでは、どうかして余り怒りたくない、寛容な心持でいたいとどのくらい願っているか知れない。けれども、自分の家にいて、弟達が何か自分の気持を悪くするようなことをすると、互の遠慮なさがつい怒らせる。それを今度は殆ど怒りを感じないで済んだということは、ほんとに嬉しかった。
で、私は今度のことを、すぐと明るい方にばかり考えたのである。これからは、畑泥棒などという者は、影も見せないようになるだろうということは、決して空想ばかりではなく思われた。
けれども、一日二日と経つままに、私の考えていたことは、やはり「実現し得ざる理想」――「お嬢様のお考え」に過ぎなかったということが分って来た。耕地には前にも増して屡々多量ずつの盗難が起るようになったのである。而も大びらに、生々した玉蜀黍が踏み折られていたり、今までは無事でいた枝豆まで根こそぎなくなってしまったり、家から遠くあなたにある池からは、慈姑《くわい》がすっかり盗まれてさえいた。
この有様に私はすっかりまごついてしまった。どうかして、誰一人厭な目を見ないで、納まりをつけてしまいたい。
けれども、これにはどうしたら好いのかということになれば何一つ私には分っていないのである。
まるで、真暗な中で、どこにあるか分らないマッチと手燭を捜しているようで、世馴れない心は、すっかり気味が悪くなり、おびえてしまった。
その上、何か一つ盗られる度に祖母が、さも辛そうにまた皮肉に、
「今まではなかったこった。ああほんとになかったことだがねえ」
と、つぶやくのを聞かなければならないのである。
私は、自分のしたことは間違っていなかったと断言出来る。そしてまた、一方では、彼等がこうなるように心を誘われたのは決して無理ではないと思う。
そうすれば、結局どっちの遣りようが悪かったのだろう? 私は心の命ずるままにしたのだ。彼等もまた必要上、しなければならないような境遇にいたのだ。両方ながら「そうしなければならないから」したのではないか? 彼等もこうならずにはいられなかったのだろうし、私もまたああしなければいられなかったのだ。或は、私の方がこうなる機会を与えたようなものだから、間違っていたかもしれないとも思っては見たけれども、そうだと断定することは出来ない。彼等が間違っていたのかということにも「そうにきまっているじゃあないか」とそれほどの断言は下されない。つまり私には分らないのである。
このことは、私に種々なことを考えさせた。そして、世の中の多くの多くの事件が、いわゆる明快なる判断力で、まるで何といって好いか素晴らしい無造作で、ドシドシと片づいているのが恐ろしいようになった。けれども、私は、このように種々のことが起り、考えずにはいられなくなって来るのは好いことだと、とにかく思った。そして、起って来るだけのことは正直に受け入れて、正直に考え感じなければならないと思ったのである。
その晩も私は独りで自分の書斎に坐って、あれからこれへと考えていた。外は非常に月がよかった。で、いつものように灯を消して、真暗な処から世界の異ったように美しく見える、耕地の様子や山並みを眺めながらいたのである。
すると、暫く経ってから、芝生の彼方の方から何か軽い音が聞えて来た。どうも何かの足音らしく調子を取っている。そして、その草葉のすれるような、押えつけるような音は、だんだん近づいて来た。
近づくに随ってとうとうそれは人間が忍び込んで来たのだということが分った。
けれども私はすっかり安心した。なぜなら、輝きのうちをおよぐようにして、小さい子供が長い竿を抱えて、抜き足差し足で入って来たのを見つけたからである。
彼の行こうとしている方には、家中で一番美味しい杏《あんず》が、鈴なりになっている。
これですべては分った。私は、今までいた所から少し奥に引っこんだ。そして、子供のしようとすることを見ていたのである。木の下まで忍び寄った子供は、注意深くあたりを見廻した。生垣で隔っている母屋の方にまで気を配った。
けれども、猫でない彼は、真暗闇の中にこの私が自分の一挙一動を見ていようとは、まさか思わなかったのだ。
やがて彼は腕一杯に竿を延ばした。顔をすっかり仰向けて、熟した果《み》に覘《ねら》いをつけ、竿の先をカチカチと小さく揺ると、二つ三つポロポロと落ちて来る。
彼は二三度同じことを繰返した。してみる度毎に結果は好いので、彼はだんだん勢付いて、子供らしい、すっかりそれに熱中した様子になって、四度目のときには、今までよりよほど力を入れて枝を擲《たた》いた。
木の頭は大きく揺れた。そしてバラバラとかなり高い音を立てながら沢山な果が、下にいる彼の顔の上だの肩の上だのに飛び散ったのである。
彼は予想外な結果にすっかり有頂天になって、驚きと喜びの混合した、
「ヤーッ!」
という感歎の声を、胸の奥から無意識に発した。
しかし、まだその声の消えないうちに彼は自分の不用心に気が付いた。急に自分のしていたことがすっかりこわくなった。
今にも誰か出て来そうに思われて来た彼は、せわしくあちらこちらをながめると、いきなり体をねじ向けて、大きな足音を立てながら、畑地の方へ逃げて行ってしまったのである。
これを見た私は思わず微笑した。せっかく落した果を皆そのまんま残して、自分の声に嚇かされて逃げて行った彼を見て、怒ることは出来ない。どこの子だか知らないけれども、息を弾《はず》ませて家へ帰りついたとき、彼に遺っているものとては、果物の雨を身に浴びたときの嬉しさとその後のたまらないこわさだけであろう。
愛すべき冒険者よ! よくおやすみ。あしたもお天気は好かろうよ。
けれども、彼もまた私に辛い思いをさせる畑荒しの一人だというのは、何という厭なことなのだろう。
十一
或る日突然私は桶屋から、金の無心をかけられた。彼は、今までもあまり貧乏なので、祖母からいろいろ面倒を見てもらっていたのだけれども、病人の娘を気味悪がって、家へはあまり近づけられないでいたのである。
アルコール中毒のようになっているので、手はいつでも震え顔中の筋肉が皆、顎の方へ流れて来たような表情をしている。
酔うと気が大きくなって、殿様にでもなったように騒ぐけれども、白面《しらふ》のときはまるで馬鹿のように、意気地がなくなって、自分より二十近く年下の後妻に、おとなしく使われているので、皆の物笑いになっている。
その彼が、祖母が墓参に行った留守へ来たのである。
大の男がたった五円の金を貰おうとして、幾度お辞儀をし、哀れみを乞うたことか!
彼は、命にかけてお願いするとか、御恩は一生忘れないとか、それはそれは歯の浮くように人を持ちあげた口吻で、
「お嬢様のおためにゃあ火水も厭いましねえ、はい、そりゃほんのことでござりやす」
と繰返し繰返し云った。
生れて初めて直接に金を借りようとする者の、極端に己れを低めた言葉態度を見た私は、妙な極り悪さと、自分自身の滑稽らしさとに苦しめられたのである。
愚にもつかない讃辞を呈せられたり、おだてられたりするのを、別にどうしようでもなく、どうしよう力もなく、聞いてすました様子をしている、こんな小っぽけな一文なしの私は、それを知っていて見たらどんなにみっともなくもまた、馬鹿らしく見えたことであろう。私は、前からよく女中に、私共の遺[#「遺」はママ]っている食物なども、大抵は彼等夫婦で食べてしまって、肝腎の病人には届かないときが多いということを聞いていたので、どんなにしてやったところで、また飲まれてしまうのが落ちだという気がした。
それに、何に五円要るのだかと云っても、はっきり訳も云わないので、益々私の疑は深くなった。で、私は自分の金は一文も持っていない米喰虫なのだから、今直ぐどうして遣ることも出来ないと断ったのであった。
けれども、彼の方では、まだお世辞が利かないせいだとでも思ったと見えて、思わず笑い出すほど、下らないことまで大げさに有難がったり、びっくりしたりして喋り立てるので、私はもう真面目に聞いていられなくなった。
私は、笑って笑って笑い抜いてしまったので、彼も何ぼ何でも自分の口から出まかせに気が付いたと見えて、ニヤニヤ要領を得ない笑いを洩して、うやむやのうちに喋り損をして帰って行ってしまった。
このことは、初めから終りまで馬鹿馬鹿しさで一貫してはいるが、彼が今無ければどうなるというほどでもない金を「若しあわよくば」というような下心で「せびって見た」というような様子に気が付くと、ただの笑いごとではなかった。
若しも、私が出してやりでもしようなら、誰も彼もが皆|体《てい》の好い騙《かた》りになってしまいそうだ。
私のすることが、皆あまり嬉しくない結果ばかり生むのが、益々辛くなって来たのである。
とにかく、これ等のことがあるようになってからは、私の囲りには、だんだん沢山「得なければならない」者共が集って来た。
小さい娘の見る狭い世界から抜けていることの、不利益を知るほどの者は、何か口実を設けては訪ねて来るのである。
ただ雌というだけのようになった女房共の、騒々しい追従笑いや世辞。
裸足《はだし》で戸外を馳け廻っていた子供の、泥だらけな体が家中をころがり廻る騒ぎ。
それ等の、何の秩序も拘束もない乱雑には、単に私の毎日をごみごみした落付のないようにしたばかりでなく、家全体をまるで田舎のよく流行《はや》る呪禁所《まじないどころ》のようにしてしまった。
祖母やその他家族の不平は、私一人に被さって、子供が炉へ水をひっくり返したのも、下らない愚痴を、朝から聞かされなければならないことも皆私がこんなだからだと云われなければならなかった。
このようなうちにありながらも、私は出来るだけ彼等に好意を持ち続けようと努めた。
けれども、いそがしい仕事のあるとき、彼等の仲間になって聞き飽きた、その当人よりよく
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