どもさせ、ちょいちょい古い着物や何かをやった。彼女は私に対して好くは思っているらしいけれども、ひどく貧乏で、恥も外聞もない慾張りな様子が少からず私には気持悪かった。
 食べる物でも、膳にのせてやった物ばかりでなく、残り物があったらどうせ腐るのだからくれろと、ぐんぐん持って行く。そんなときに、若しやらないなどと云おうものなら、もうすっかり不機嫌になってポンポンろくに挨拶もしないで帰ってしまうのである。新しい着物でも着ていると、一つ一つ引っぱってみないでは置かない。
 そんなことがほんとにたまらなく厭であったけれども、私は、貧しい者のうちに入って行こうとしながら、品振《ひんぶ》っている自分を叱り叱りしてようよう馴れるまでに堪えたのである。
 善馬鹿のおふくろが、今までより屡々《しばしば》出入りするようになると共に、だんだん村中の貧しい中でも貧しい者共に接する機会が多く与えられるようになった。
 親父は酒飲みで、後妻は酌婦上りの女で、娘は三年前から肺病で、もう到底助かる見込みはないと云うような桶屋の家族。
 中気《ちゅうき》で腰の立たない男と聾の夫婦。
 それ等の、絶えず愚痴をこぼし、みじめに暗い者の上に私はそろそろと自分のかすかな同情を濺《そそ》ぎはじめたのである。
 もとより私のすることは実に小さいことばかりである。私が力一杯振りしぼってしたことであっても、世の中のことに混れば、どうなったか分らなくなるようなものであるのは、自分でも知っている。
 けれども、私は愉快であった。
 自分は彼等のことを思っているのだということだけでも、私はかなりの快さを感じていたほどである。
 毎日毎日を私は、新しく見出した仕事に没頭して、満足しながら過していたのである。
 けれども、たった一つ私にはほんとに辛いことがあった。それは、善馬鹿の子の顔を見ることである。誰も遊び相手もなく、道傍の木になどよりかかりながらしょんぼりと佇んでいる様子を見ると、ほんとに私は苦しめられた。
 何とか云ってやりたい、どうにかしてやりたい。私はほんとにそう思う。
 が、彼の痩せた体や、妙に陰惨な表情をした醜い顔を見ると、何もしないうちにもう、堪らない妙な心持になって来る。
 彼の眼つきはすっかり私を恐れさせる。私は、彼の傍を落付いて通ることさえ出来ないのであった。
 何だか今にも飛付いて頸を締められそうな気がする。そして、コソコソと出来るだけ彼の目から避けて通り過ぎながら、心のうちには自分が何か彼にしなければならないという感情と、この上もない気味悪さが混乱した、大嵐が吹いているのであった。
 万一どんなか方法によってこの白痴だと思われている子のうちから、何かの輝きが見出される筈であるのを、傍の者が放擲《ほうてき》してしまったばかりで、一生闇の世界で終ってしまうようなことがあれば、ほんとに恐ろしいことである。
 今まで死なないところを見れば、どこかに生きる力は持っているのだ。
 十一年保っていた命の力は大きいものである。ましてここいらの、ほんとに人間を生長させるには不適当なようなすべての状態にある所では殊にそうである。
 空想ではあろうけれども、私は彼の霊と通っている何かが必ず一つはあるだろうということを思い、それに対しての彼は聰明なのじゃあないかなどと思った。
 彼の親父は人間の仲間では気違いである。けれども犬と彼とはどれほど仲よく互に心を感じ合っていることか。
 白痴の心は私にとっては謎である。分らなければ分らないほど、私は何かありそうに、どうにかなりそうに思わずにはいられなかったのである。

        七

 まあ何という素晴らしい。
 朝だ!
 はてしない大空の紺碧の拡がり、山々の柔かな銀青色の連り。
 靄《もや》が彼方の耕地の末でオパール色に輝いている。
 あらゆる木々の葉が笑いさざめき歌っている上を、愛嬌者の露が何という美しさで飾っていることだろう。御覧! お前の大好きなお天道様は、どんなに見事に光り輝いていらっしゃるか!
 ほんとに立派なお姿でいらっしゃる。
 私は、昨日も今日も同じに、円く燦《きらめ》き渡って動いていらっしゃるのを見ると、堪らなく嬉しくなって来る。
  「お早うございます、御天道様!
  いつも御機嫌が好さそうでいらっしゃいますね。
  私もおかげさまで、こうして達者でお目に掛れるのは有難う存じます。
  どうぞ今日もまたよろしくお願い致します。
  私のりっぱなお天道様!」
 風は、木々の葉の露を払い落し、咽《むせ》ぶようなすがすがしい薫りをはらんで、むこうの空から吹いて来る。
 森の木々には小鳥がさえずり、家禽の朝の歌は家々の広場から響いて来る。
 道傍のくさむらの中には、蛇いちごが赤く実り、野薔薇の小さい花が傍の灌木の茂みに差しかかって、小虫が露にぬれながら這っている。
 桑の若葉の葉|触《ず》れの音。
 勇ましく飛び立つ野鳥の群。
 すべては目醒め動いている。
 何という好い朝だろう!
 私は、喜びに心を躍らせながら歩いて行った。畑地を越え、草道を通り、暫くすると私は村にただ一つの小学校のそばに出た。
 そこではもう授業が開始されていて、狭い粗末な教室の中には、小さく色の黒い子供が僅かずつつまっているのが、外から見える。
 私は誰一人いない庭の芝草の上に坐りながら自分の小学校時代を思い出した。種々の思い出が、沢山な友達の面影や教師の様子などをはっきりと思い浮ばせたのにつれて、ちょうど四年ぐらいの時分、ここへ来るとよくこの学校のオルガンを借りたことを思い出した。
 あそこいらの部屋らしかったと思いながら、一人の子供が立ったきり答に窮してぼんやり黒板を見ている教室の中を眺めていた。
 すると、だんだん記憶がよみがえってくるにつれて、最初に自分がオルガンを借りたときの様子がありありと心に帰ってきたのである。
 私はそのとき、白い透き通るリボンで鉢巻のようにし、うす緑色の着物を着ていた。
 外国にいた父から送ってくれた譜本を持って、小学校に行った。そして、たった独りいたまだ若い先生にオルガンを貸して下さいと頼んだのである。
 今でも思い出す顔の丸い、目の小さい人の好さそうなまだ二十三四ぐらいだった教師は、私の様子をジロジロ見下しながら、きっぱりと貸せませんと云った。
 誰か一人に貸すと、他の者にたのまれたとき断れなくなる。そうすると一時間も経たない内にオルガン一台ぐらいめちゃめちゃにされてしまうのだからと、いろいろ理由を説明して拒絶したけれども私はきかなかった。
 私は黙って立っていた。
 先生もだまって立っていた。
 そして暫くの間立っていた先生はやがて少し腹を立てたような声で、
「一体あなたはどこの人なんです?」
と云った。
「私? 岸田の者だわ……」
 たった十ばかりだった私はそのとき何と思ったのだろう!
「岸田の者だわ……」
 私はどのくらい落付いて自信あるらしく云ったことだろう! 名を聞けばきっと貸すということを明かに思って、随分とのしかかった心持で微笑さえしたではないか?
「あ! そうですか。じゃあかまいません。さあお上りなさい」
と、導かれてどういう満足でもってその鍵盤に指を置いたか!
 今になって私はその正直だった若い教師を非常に気の毒に思うと同時に、私自身の態度の心持を堪らなく恥しくすまなく感じない訳には行かない。
 小さい、ものも分らない私にまで、自分の理由のある出言を撤回したあの教師が、あの若さでありながらふだんからどのくらい、自己を枉《ま》げることに馴らされていたかと思うと、ほんとに堪らない。
 若し今の私がその教師だったら?
 私はどうしたってききはしない。ましてそんな人を呑んでかかるような態度を見たら、どのくらい怒るか分らない。かえって叱って叱って、叱りとばして追い帰すだろうのに――。
 私は涙がこぼれそうになった。
 自分は欠点だらけな人間だけれども、そんな恥しい思い出にせめられるのは情ない。
 重く沈んだ心持になって、むこうの窓を眺めていると、子供達の頭の波をのり越えて、一つの顔が自分を見ているのに気が付いた。
 その顔は、殆ど四角に近いほど顎骨が突出て、赤くムクムクと肥っている。
 非常に無邪気な感じを与える峯の太い鼻。睫毛《まつげ》をすっかり抜いたような瞼がピチピチとしている眼は、ふくれ上った眼蓋《まぶた》と盛り上った頬に挾まれて、さも窮屈そうに並んでいる。
 私は、正直そうなどちらかといえば愚直だといえるほどの顔をまじまじ眺めていると、益々あの自分の我儘に己を枉げてくれた教師と非常に似ているように思えて来た。
 で、私は立ち上った。そして、微笑を浮べながら丁寧なお辞儀をした。
 私は満足した。けれども、若者は非常にまごついたらしかった。妙な顔をして、大いそぎで窓わくのそばから離れて、彼方に見えなくなってしまったのである。
 彼は私がふざけたのだと思ったかもしれない。
 けれども、これで、今もなおどこかの空の下で今この同じ日の光りを浴びながら生きているあの日の若い教師に対して、自分はしなければならなかったものを、ようやく果たしたような気がした。
 私はまた幾分か心が安らかになった。そして元来た道を戻って、小川の所へ行って見た。いつも誰かが魚をすくっているそこに今日は甚助の子供達が来ていた。
 子供達は熱心にしていたけれども、流れの工合が悪かったと見えて、網に掛るものは塵《ごみ》ばっかりである。
 暫くだまっていた私はフト、
「ちっともとれないのね」
と云った。
 そのとき、初めて私がいるのに気が付いたらしい子供達は皆ニヤニヤしながら、顔を見合っていたが、中の一人が、おかしい訛のある調子で、
「ちっともとれねえのね」
と口真似をした。
 このいたずらはすっかり私を喜ばせた。
 彼等がそんなことをするくらい私に、馴染《なじ》んで来たのかと思うと嬉しかったので、私はしきりにほめた。
 子供達は、私の笑う顔を薄笑いして見ていたが、急に持って来た鍋や網をとりあげると、何かしめし合せて調子を合せると一時に、
「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」
と叫んだ。
 そして崩れるように笑うと、岸の粘土《ねばつち》に深くついた馬の足跡にすべり込みながら、サッサと馳けて行ってしまったのである。
 私は、何が何だか分らなかったけれども、ぼんやり川面《かわづら》をながめながら、非常に生々と快く響いた彼等の合唱を心のうちで繰返した。
「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」
 私は小声で口誦《くちずさ》みながら家に帰った。
 そして誰もいない自分の書斎に坐ると、あの子等のしたように大きな口をあけて叫んで見た。
「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」
 ところへ、祖母が珍らしく妙に不機嫌な顔をして入って来て云った。
「お前は一体何を云っているの? そんな大きな年をして馬鹿をおしでない」
 私はちっとも知らなかった。「ほいと」というのは「乞食」を指す方言であったのだ。

        八

 この村の農民共は、子供の教育などということをちっとも考えていない。子供等は生み落されたまま、自然に大きくなって男になり女になりして行くのである。
 もちろん彼等だって子供は可愛い。けれども、すべて単純な感情に支配されている彼等は、子供を育てるにも、可愛いとなると舐殺《なめころ》しかねないほど真暗になって可愛がる。
 が、若し何か気に入らないことや、憎いことをしでもしようものなら、彼等はほんとに可愛さあまって憎さが百倍になってしまう。擲《なぐ》る蹴る罵るくらいはあたりまえで、ひどくなると傷まで負わせて平気である。
 そんなときは、子供だなどという気持はなくただ憎らしい、ただ腹が立つばかりなのである。
 それ故、子供等はよほど健康な生れ附きでないと、大抵は十にならない内に死ぬかどうかしてしまう。
 どんな木の実でも草の実でも、食べたい放題食べ、炎天で裸身《はだか》になっていようと、冬の最中に水をあびようと、くしゃみ一つしない人
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