まるで飢えた山犬のようにして、掻っ込んだのである。
 見ているうちに、私はあさましくなってしまった。
 獣より情ない姿だ。こんな哀れな人間に生れるくらいなら、猫にでも生れた方がどんなに幸福だったか分らない。彼にとっても、また彼の周囲の者にとっても、遙かにその方がよかったのだと私は真面目に考えた。そして、見ているに忍びなくなって、後を向いてまた胡桃を挽き出した。パチパチいって破れる殻から、薄黄色い果を出しては、挽き臼でつぶすのである。
 暫くすると、善馬鹿は食べてしまって、立ち上ったらしい気配がした。そして、よろけながら両手に空の破《われ》茶碗や丼を下げて、また耕地の方へ出て行く後姿を、私は、臼の柄につかまりながら、何ともいえない心持で見送っていた。秋めいた、穏やかな午後の日射しが、彼の蓬々頭の上に静かに漂っていた。
 暑さのためと、気苦労で、養生の行き届かない新さんの病気は、時候の変り目になってからドッと悪くなった。
 体中が腫《むく》んだので、立っていることさえ苦しいほどなのを、家にいればおふくろの厭味を聞かなければならないのが辛さに、跛《びっこ》を引き引きあてどもなく歩いて、林の中などに何か考えている新さんを見ると、村中のものは、ほんとに気の毒がって、どうにかしてよくしてやりたいものだと心から噂し合った。けれども、この二三日はもうこれも出来ないほどになったので、家の陰の日もろくには射さないような長四畳にごろ寝をしているときが多くなった。
 部屋の直ぐ前から、ズーッと桑畑を越え、野菜の上を越えた向うには、林に包まれた墓地が見渡せた。
 新さんは、足の裏に針の束で突つくような痛痒い痺《しび》れを感じながら腕枕して静かに眺めていると、生々《いきいき》した日の下に踊っている木々の柔かい葉触れの音、傍に流れて行く溝流れのせせらぎが、一つ一つ心の底まで響き渡って、口に云われない憧れ心地になったり、遣瀬《やるせ》なさに迫られて、涙組ましい心持になった。
「あの林のかげにはちゃんがいる」
 新さんはそう思うと、まだ親父の生きていた時分の事々が、遠い夢のように思い出された。
 自分が、まだ七つ八つの頃、あんなに早く死のうなどとは、夢にも思えなかったほど、達者で心の優しかった父親が、自分を肩車に乗せて、食うだけ食えと桃畑の中を歩き廻ってくれた時分の自分等は、どんなに幸福に、嬉しいお
前へ 次へ
全62ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング