お前」になり終《おお》せてしまう。
 今も、その癖が出たとともに、もうどの子が何をしたとか、憎らしいとかいうことは出来るだけ忘れようとつとめ、また実際気にもならなくなっているので、そんなにされることはよけいいやであった。
 で、私が口を酸《すっぱ》くして叱るのをやめろと云っても、彼女《かれ》の方ではそれをあてこすりだと思っているとみえて、だんだん子供にひどくする。
「食うてばかりけつかってからに、碌《ろく》なことーしでかさねえ奴だら。これ! わびしな。勘弁してやっとよ、何とか云いなてば」
と、子供の腕を掴んで、小突《こづ》いたり何かしても、子供の方でもまた強情なだんまりを守っている。
 私には、甚助の女房がどんな心持でいるかよく分った。分っただけに、そんな謂《い》わば芝居を見ているのは辛い。
 私の云うことなどには耳もかさずに、怒鳴っていた彼女は、
「これ! どうしたんだ? う? おわびしねえつむりなんけ?」
と云うと、いきなり大きな掌で、頸骨が折れただろうと思うほど急に子供の首を突き曲げた。
 そして、
「どうぞ御免なして下さりやせ」
と云うや否や、
「行っとれ!」
と叫んで突飛ばした。
 私は息がつまるくらいびっくりしてしまった。けれども、当の母親は満足らしく笑いながら小腰をかがめて、
「お暇潰《ひまだ》れでござりやした」
と畑へ出て行った。
 下女は彼女の後姿を見送りながら、
「甚助さん家《げ》のおっかあは利口もんでやすなりえ、ちゃんと先々のことー考《かん》げえてる」
と嘲笑った。

        五

 村の四辻に多勢人立ちがしている。
 子供等や、鍬を担いだ男女、馬を牽いた他所村の者共まで、賤《いや》しい笑いをたたえて口々に罵り騒いでいる真中には、両手に魚を一切ずつ握った男が、ニヤニヤしながら足を内輪にして立っているのである。
 肩の所に大きな鍵裂《かぎざき》のある女物の着物を着て、細紐で止めただけでズルズルと下った合せ目からは、細い脛《すね》がのぞいている。
 延びたなりで屑糸のような髪には、木の葉や藁切れがブラ下り、下瞼に半円の袋が下って、青白い大きな目玉がこぼれそうに突出ている。紫色の唇を押しあげて、黄色い縞のある反っ歯が見え、鼻の両側の溝には腫物《はれもの》が出来て、そこら一体に赤く地腫れさせている。
 身動きする毎に、魚の臭いや何やら彼やらがご
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