の心に滲《し》み込んで来る、都会風の鋭い利害関係の念と彼等が子供の時分から持っている種々の性癖が混合して、毎日の生活がより遽《あわただ》しく、滞りがちになって来たのである。
 村の状態は決して工合が好いとはいえなかった。長い間保って来た状態から、次の新しい状態に移ろうとする境の不調和が、全体を非常に貧しく落付かなくしているのである。
 けれども祖父はもう十七八年前に亡くなって、ちょうど移住者もそろそろ村に落着いて来、生活が少しずつ、楽になったときの様子ほか見ていない。
 彼は、大体に満足して、村の高処《たかみ》に家を建て、自分等夫婦はそこに住んで、田地の世話を焼いたり、好きな詩を作ったりして世を終った。
 それで、後に残った祖母も、故人の志を守って彼の遺した家に住み、田地を監視し、変遷する世から遠ざかって暮しているのである。
 一年中東京にいた私は、夏になるとK村の祖母の家に行くのを習慣にしていた。そして、二月ほどの間東京では想像もつかないような生活をしているのである。
 私は村中の殆どすべての者に知られている。東京のお嬢様が来なすったと云って、野菜だの果物だのを持って来る者に対して、土産物を一つ一つ配ってやらなければならない。朝から小作男の愚痴を聞き、年貢米を負けてやる相談にのる。そして、かれこれ云うのが面倒なので、さっさと祖母にすすめて許してやると、大変慈悲深い有難い者のように私共を賞めたてる。お世辞を云う。
 私は皆にちやほやされながら、朝夕二度の畑廻りをしたり、池の慈姑《くわい》を掘ったり、持山を一日遊び廻ったり、すっかり地主の馬鹿なお孫さんの生活をしていた。誰からも、干渉がましいこと一つ云われず、存分に拡がっていたのである。
 それでも私は、尊《たっと》そうにされていたことなどを思うのは、今の私にとっては真《まこと》に恥しい。我ながら厭になる。
 何としてもどうにかして、村人の少しなりとも利益《ため》になる自分にしなければならない!
 それで、私は心のうちに種々の計画を立てた。そして、土地の開墾などということは――もちろんそこが人間の生活すべきところとして適当でありまた、栄える希望もあるところならばよいけれども――冬が長く、地質も悪いようなところへ、貧しい一群を作ったとしても、やはり非常に尊いことなのであろうかなどというような疑問がしきりに起ったのである。
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