の足なみが早くなるにつれて、東南の暴風は立木という立木、家屋という家屋のあらんかぎりを吹き倒さないでは置かないというように吹き始めた。
砂煙が短い渦巻になって吹き上り、人気ない往還をあっちこっちとかけずり廻る。樹木の総ては、その頭を狂乱したように打ち振り打ち振り、小枝は白い肌を生々しく引き裂かれて飛び、幹は苦しげに軋み唸り、鋭い悲鳴をあげて揺れている。家屋の角ではぶつかる風がわめき、白い葉裏をひるがえして揉まれる葉が種々な声で泣き叫ぶ。――
天地が巨人の掌でただ一揉みに揉みつけられるような夜の荒れの最中に、一つの細長い人影が静かに落付いて、往還の角から現れた。
黒い影は静々とその騒乱のうちを動いて行った。
頭を真直に保ち、手足が規則正しく動くにつれて、等しい歩調《あしどり》で、ちょうど車の上で動かされている人形のように歩く姿は、この四周《あたり》の畏縮しつくしている万物の中に、いかほど厳《おごそ》からしく見えたことだろう? 惨虐な快楽に耽る暴風にとっては、驚くべき反逆者である。
彼の延びた髪はさか立って、一吹風が吹き払う毎に、顔中に乱れかかり着物の裾はバタバタとあおられながら足に纏いつく。けれどもそんなことは、何の邪魔にならないらしく、人影は極めて沈着に、余裕を持って進行を続けて行く。
激しい風に巻き上げられた土砂がいかほど打ちつけようが、上っている頭は決して下らず、面《おもて》を背向《そむ》けようともしない。露出《むきだ》した細い脛に芥が噛みつき、風の渦巻にとられようとする着物が、体中で膨れたりしぼんだり、はためいたりしている。
けれども彼はただ歩いて行く。行手には何の障害《さわり》もないように、またあったとしてもそれ等を何の努力もなしに圧服することが出来るような勢で、ひた歩きに歩いて行くのである。そして、真直に通っている道の曲り角まで来たとき、この怪しい人影の行手に当って、また他の黒影が現れた。
立ち舞う塵芥《じんかい》の霧のうちに、その丸くかがまった小さい姿は、まあ何という弱々しさでよろめいて来ることか! 全くその人影はよろめいて来たのである。
一陣の烈風が、すさまじい響を立てて地上を払い去ると、弄ばれる枯葉のように前後左右に突上げられ押しつけられ小突き廻されて、今にも倒れそうなほどよろけ廻る人影は、暫く立ちよどんではフラフラとまた定まらぬ足
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