響をあまり多くうけていることについて、何かの感想を与えられはしないだろうか。限られた生活環境で、これらの人々の受動的にならざるを得ない読者の性質ということをまじめに考えさせられる。
 われわれが、こういう特殊な性格の本をよみ、その批評をする場合、そういうことをするほんとうの意義というものは、どこにあるのだろう。『春を待つ心』のまえがきで、星塚敬愛園長の塩沼氏が「園内の子供たち[#「園内の子供たち」に傍点]」もどんなにこの本が世に出ることをよろこんでいるかしれないと言われている。この「園内の子供たち」という言葉は、訴えにみちている。『癩者の魂』のそれぞれの作品がほとんどペンネームで発表されているところにも、これらの人々の生の深い思いがある。
 このような本が出版されることそのことが一つの社会的なアッピールではないだろうか。そして、これらの本を書評にとりあげることの本質には、これらの人々の切実な生のよび声を、わたしたちの社会連帯の感覚のうちによりひろく伝える義務がふくまれていると感じる。健康な人間が健康な人間を殺戮するために科学の精髄をつくして研究している、その莫大なエネルギーと費用の幾分
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