顔つきで戻って来た。
「かあさん、あの人、黄色い葉っぱ描いてるよ」
 おとなしやかな母親、それに答えず悠《ゆっ》くり床几から立った。
「あ、そろそろお池の方を廻って帰りましょうか」

 水浅黄っぽい小紋の着物、肉づきのよい体に吸いつけたように着、黒繻子の丸帯をしめた濃化粧、洋髪の女。庭下駄を重そうに運んで男二人のつれで歩いて来た。
「どっちへ行こうかね」
「――どちらでも……」
 女、描いた眉と眼元のパッと、秋草より遙に強く人間を意識した表情で大東屋の方を眺め佇んだ。
「そっちへ廻ろうか、じゃあ」
 人影ないそっちの小径には、葉茂みの片側だけ午後の斜光に照し出された蜀葵の紅い花がある。男の一人、歩きつつ莨《たばこ》に火をつけた。

 鳥打帽の若者は、まだ下絵を描いている。写生の日傘も動かない。ほんの少し風が渡り、夥しい草の葉が、軟い音、細い音、いろいろに鳴った。

 急に、広庭つづきの叢のかげが賑かになった。多勢人の来る気勢《けはい》。
「――本当に、さぞまあ百花園さんも喜んでおりますでしょうよ」
 浮々した年増の声が、がやがや云う男の間に際立って響いた。丸髷のその女を先頭にフロック・コート、紋付袴の一団が現われた。真中に、つい先年首相であった老政治家が囲まれている。皆、酒気を帯び、上機嫌だ。主賓、いかにも程々に取巻かせて置くという態度。一寸離れて、空色裾模様の褄をとった芸者、二三人ずつかたまって伴をする。――芝居の園遊会じみた場面を作って通り過た。
 写真をとるという時、前列に踞《しゃが》んだ芸者が、裾を泥にしまいと気にして、度々居ずまいをなおした。頭のてっぺんが平べったいような、渋紙色の長面をした清浦子は、太白の羽織紐をだらりと中央に立っていたが、軈《やが》て後を向き、赤いダリアの花一輪つみとった。それを、「童女像」のように片手にもって、撮影された。

 一ときのざわめきが消えた。四辺は俄に夕暮らしい風情を増した。大東屋はいつかがらんと人気なく、肌つめたい秋の残照の中に、雁来紅の濃い色調、紫苑、穂に出た尾花など夜に入る前一息のあざやかさで浮上った。
 茂みの彼方で箒の音がしはじめた。楢の梢に白い夕月が懸った。――
[#地付き]〔一九二六年十一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986
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