にとっては三人|同胞《きょうだい》の大切な一人なのだが、ひどく良人の荻村と気質が合わなかった。荻村は、仏文科出の小説家であった。良人が第一流の芸術家として尊敬されるのは満足だが、神経の鋭さや、趣味のゆずらなさから、幾枝にすると、迷惑な場合も少くない。人格に圧されて承服はするが、本当に同感はされない。荻村の家庭における位置はそういうものであった。市原との間のうまくゆかないのも、幾枝の気持で判断すると、そういう目に見えない良人の癖が第一の原因であるらしかった。然し、三四年前、長い間、今病室になっている書斎で相談した祐之助が、
「――どうも義兄《にい》さんには敵《かな》わないや」
と、延した小指の爪で、髪のわけめを掻き掻き照れかくしの剽軽《ひょうげ》た風で茶の間に出て来て以来、上京しても、ほんの申わけに顔を出すぎりになった。しかも幾枝と話すだけで、彼女が、
「ちょっと見て来ましょうか」
と立ちかけると、彼は大仰に両手でこれを制した。
「いいよ、いいんですよ、私はすっかり嫌われちまったんだから――勘当さ」
「冗談じゃない」
「本当ですよ」
「――ほんと?」
すると、祐之助は、
「ハハハハハハ」
と哄笑した。その放蕩者らしい笑い声が書斎へ聴えないわけはなかった。けれども、荻村は、彼については一言も発せず、竹田に似たようで更に敏感さのこもった山水などを描いている。
幾枝は、そのいきさつについては、絶対に沈黙を守っていた。男達は面倒なものだ。――二十年近い結婚生活で、彼女は、良人の内的生活には容喙しきれないもののあるのを承知していたのだ。
荻村の健康は常から苦情がちであったが、風邪がこじれ、肺炎になった。一進一退しているうちに、酸素吸入が必要にまで至った。荻村は五十二歳であった。……
空になった湯呑を手のひらにのせ、幾枝は暫くすくんだようにしていた。が、時計を見ると、疲れた体を引立てるようにして立ち上った。
「――皆でくたびれちゃっても仕様がないから、下の者にも代り合って眠るように、あなた世話をやいて下さいな。――さ、弘もおねなさい。あした[#「あした」に傍点]学校でしょう」
幾枝は、建てましをしてからそこを城廓のようにして生活していた良人の書斎へ、暗い廊下づたいに戻った。
二
祐之助は、身辺に旋風の袋を持ってあるいているような勢いで入って来た。そ
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