後ミサ子が再び手帳へ目を落そうとすると、今度は明らかに誰かの仕業らしく、パッ、パッ、と二三度電燈が明滅し、ひどい勢でドアの錠があく音がしたかと思うと、派手な袂で風を切って内から飛び出して来た若い女がある。ミサ子の方がぎょっとした。みどりであった。
 みどりは立っているミサ子をすぐ認めた。が、まるで今ミサ子がそこにそうやっていることは約束してでもあったように、何とも云わず上気した顔のまんまずんずん洗面所の方へ歩き出した。みどりのとび出したドアの内では、男が無遠慮に痰をはいている音がする。ミサ子は何だかそこにそのまま立っていられない気持になって、洗面所へ行った。みどりが水道の栓をひねりっぱなしにして顔を洗っている。掌に掬った水で邪慳に自分の唇を洗って、ハンケチで拭いて、声に出して云った。
「チェッ! 畜生!」
 ミサ子が入って行くと、直ぐ、
「よっぽど前に来た?」
と訊いた。
「……いないのかと思ったわ」
「ふむ」
 みどりは、こわい、怒った眼つきのまま今は髪をときつけている。ミサ子には前後の事情が分るまいとしても分る。みどりは、凝っと鏡の面に目を据えて断髪を梳いていたが、急にミサ子の方を
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