事務員たちがもっている一つの気風みたいなものが思い浮んで来た。
 昼休みに、××○○会社の女事務員が三四人ぐらい連れだって丸の内を散歩している。そんなとき、いかにも鮮やかにモダーンな洋装の女事務員や、派手な、例えばみどりみたいな服装をした女事務員たちが、やっぱり休みでブラブラその辺を歩いているのに出会うことがある。
 どっちかというと落付いた風采をしている××○○会社の事務員たちはよくよくのときでなければ、決してそういう丸ビル、海上ビルなどの女事務員たちの服装をふりかえって見たり、その場で話題にのぼせたりすることはしなかった。すれ違いながら云わず語らずのうちに、ああ云うひと達[#「ああ云うひと達」に傍点]と自分たちとは違うという女らしい自惚《うぬぼ》れがみんなの心の内にあるのだった。××○○会社が女事務員の断髪を禁じたり、洋装をするといやな顔をすることには誰しも不満なのだが、それは内輪のことで、いざ他のもっと小規模のところで派手な装をしてひどい働きをさせられている女事務員たちとつき合わされると、反撥して不満を忘れ、自分たちは××○○の者だと澄してしまうのだ。
「モーリ」で十銭の支那ソバを食べようとも××○○会社へ勤めていると云うと、そのきこえ[#「きこえ」に傍点]で現に間借りをするとき、小母さんの信用ぶりが違った。そういうバカらしい雇われ人の見栄みたいなものにつられて、××○○会社の女事務員たちが、変にツンと自分たちだけでかたまろうとするのだ。そしてまたその方が会社にとっては便利で安全だ。――
 みどりはフト話題をかえ、
「大井田さん、いつも勉強して来るわね」
と云った。そして今はみつ[#「みつ」に傍点]豆のかんてん[#「かんてん」に傍点]をぽちぽちたべながら、
「……私エスペラントなんて柄じゃないんだけれど……でも、講習会へ来てるひと[#「ひと」に傍点]、わりかたみんな気持いい人ばっかりね。それに教科書が痛快だわ。……いっそあのパン菓子屋さんのお神さんにでもして貰っちゃおうかしら」
 みどりは元柳原の裏のアパートをかりて住んでいるのだった。
「気が向いたらよって下さいな。とてもおかしなとこで笑っちゃうワ。どうせ昼間は家にいないから、盲窓みたいな三角の室にいるの……七円よ、悪くないでしょ?」
 ミサ子は、みどりに対するこれまでの自分の心の中にもいつの間にかやっぱり××○○流の気分が入ってたと思って、後めたい心持だった。
「――丸ビルの事務所へよってもかまわないかしら」
「かまうもんですか! でもあすこだっていつまでいれるか知れたもんじゃないわ」
「かわるの?」
「だって、ウダウダ云うの聞かなけりゃクビだもの。――まあ大抵一つところ三月だわね」
 ミサ子も自分の住所と略図とを書いてわたした。
 テーブルから立ちしなに、みどりは着物の襟元をひっぱりながら(彼女の方を三人づれの学生がじっと見ているのにかまわず)、
「……ああア、また草履も買わなくちゃならないし」
と、泥水がしみてきたなくなった藤色の草履を眺めて云った。
「鼻緒なんか、でも新しいようじゃないの」
「ええ、本当なら買ってまだいくらもたちゃしないのよ。こないだおひるっからひどく雨が降ったときがあったでしょう。私がちょいとツンツンしたって、あの雨ん中をわざと傘がないのに集金にやらされたんだもの……たまりゃしない。――」
 神田駅で別れて省線にゆられながら、ミサ子はみどりの口紅のあとの残ったストローの色を目にうかべた。
 今夜の話で、然しミサ子たち××○○会社の女事務員がブツブツ云いながら結局納まっているいろいろのわけがハッキリしたように思えた。
 ××○○会社には女事務員でも、支店からまわって来たりしてかれこれ七八年勤めている人が一人二人いた。この不景気でもクビきりをやたらされないという安心が、ひとつは××○○会社の女事務員たちを引込思案にさせている原因だ。

        七

 その日は朝っからまるでいそがしかった。やっと暇をみてミサ子が洗面所へ行こうとすると、むこうから靴音を立てて庶務の沖本がセカセカ小使とやって来た。
「どうしたんだね、佐田君がぶったおれたっていうじゃないか」
「アラ!」
 ミサ子はびっくりした。
「ほんとですか」
「仕様がないよ。だから御婦人は……」
 小走りにミサ子が沖本と洗面所へ行って見ると、ほんとだ。白いタイル張の床へじかに事務服を着たまんまの佐田はる子が倒れて、掃除掛の手拭を姉さんかぶりにした小母さんが、ヤッと七三に結ったはる子の頭だけ黒綿繻子の仕事着をきた自分の膝へ支えている。
「あら、あら、心配だワ、ちょいと! はる子さん! さ、のんで! これを飲んで!」
 きたないのをわすれ、自分も床へ膝をついた岡本しづ子が真蒼になってコップについ
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