しづ子は、左翼劇場のことなどはよく知らないらしい。ぼんやり、柳からノートをうけとった。
「まとめて切符とると、やすくなるのよ。あなたの方で何枚いるか、はる子さんの手紙といっしょに希望者を集めて下さいね」
 ミサ子は、左翼劇場へゆくときなんかはよく連立って出かける××商事の順子のことを思い出した。
「ね、それには、よそ[#「よそ」に傍点]のひと誘っちゃいけないかしら」
と柳にきいた。
「よそ[#「よそ」に傍点]のひとって……」
「私、××商事に友達がいるのよ。よく一緒に築地へなんか行ってるんだけれど、そんなひとまで入れちゃいけないものかしら……」
「いいわ!」
 柳が、下膨れのゆったりした頬をぽーっと赧らめながら、
「とても歓迎よ!」
と力をこめて答えた。
「そのことも書いとこう! ね? れい子さん、この近所に勤めているお友達は誘っていいのよ」
 柳は、しづ子からノートをとり戻してその注意を書き添えた。
「へ、じゃすみませんがこれをどうぞ」

 はる子の慰問金を集めた経験から、××○○会社の女事務員たちはみんな廻状をまわしたりすることに大分馴れた。執務時間中、よその課のしづ子が入って来てちょっと話して出て行った後、男の社員が、
「おい、何をこそこそやってたんだい?」
などと云っても、サワ子まで、
「楽しい相談!」
と笑いまぎらすようなゆとりが出て来た。ミサ子はその日のひけ際、いそいで順子のところへよって話をまとめた。おとなしい順子は、
「あなた達の方、この頃何だか面白そうでいいわねえ、こっち平凡よ」
と羨しそうに、毒のない好奇心を示して云った。
「そっちはそっちであなたでも先に立ってやればいいのに」
「駄目よ。……まあお仲間に入れといてよ、当分。……その内には何とかなるかもしれないから」
 もっと外に左翼劇場見物に誘う相手はないかと考えるうちに、ミサ子は三輪みどりを思い出した。元柳原の三角みたいなみどりの室というのへも、つい暇がなくてまだ行かなかった。エスペラント講習会へも近頃みどりは初めの頃ほどきちんとは出て来ない。――
 ちょうど退け時間が迫ってシトシト薄ら寒い小雨が降り出した夕暮のことだ。ミサ子は傘なしで、車蓋の濡れ光るタクシーの流れを突切り、丸ビルへかけ込んだ。みどりの勤め先の堂本兄弟商会というのを一階の案内書で調べると、五階にある。エレヴェータアを出てから
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