る。しかも、それを断われないような工合になっている。男の社員と女の事務員との間に形式的な格の違いをつけ、事務以外の口を利いてはいけないことにしてあるのなど、なかなか会社のずるいところだ。
いつの間にか、女事務員のことについて口を出したりするのは、社員として見っともいいことじゃないという気風がしみ込んでいる。どの部だって女事務員は一人か二人しかいないから、どうしても損な役割を押しつけられてしまうのだ――。
四時半になるのを待ちかねてドタドタみんなが帰ってしまった。埃っぽい、机のつまった室内を照して天井の電燈がついた。
ミサ子は、洗面所へ行った。ふんだんに水をつかってゆっくり手を洗ったり、髪をかきあげたりしたら、少し気分がさっぱりした。居のこりときまったら、いそいだってつまらなかった。××○○会社は四時半から後の残業は七時以後からでなければ割増しがつかなかった。従って、ちょいちょい居残りさせられても大抵のときはタダで、使われる者の損になるばかりだ。
自動車の警笛。メガホーンで何か叫んでいるぼやけた人間の声。丸の内のアスファルト道路から撥ねかえる夕方の騒音が、人気ない室へつたわって来る。
ミサ子は左手を握って暫く右の肩をたたいてから、再びタイプライタアをうちはじめた。
給仕の牧田が茶碗をあつめにやって来た。
「おや、いたんですか!」
「……あっちに誰かのこってる?」
「柳さんがいますヨ」
給仕が出て行って暫く経つと、キチンとしまっていないドアを少しあけて誰かが覗いた。ミサ子がわざと知らん顔をしていると、今度は全体ドアをあけ、庶務の沖本がのっそり入って来た。
「……御精が出ますな……ひとりですか?」
じろじろミサ子のまわりや誰もいないたくさんの机の方を見まわした。警部あがりの沖本を好いてる者は一人もいなかった。「穴銭」という綽名がついている。頭に穴銭みたいなハゲが一つあった。警部をしていた時分、強盗にかみつかれた跡だという話だが、女事務員たちは、
「うそ! きっと神さんにやられたんだわよ」
と嫌悪をこめて笑った。
神さんにだって喰いつかれそうに憎々しい五十男だ。
「あんた、一昨日だったかも随分おそかったじゃないか……うん?」
ミサ子はむっとして、
「これ見て下さい」
おっつけられた支店長宛の書類を眼でさした。
「四時半になってこれだけ出たんです……こん
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