てからは、便乗などと、なまやさしい表現は一応すたれたかのように見える。便乗という響には、卑屈ながら、さもしいながら、昼間という感じがある。足許が見えなければ、乗るにも乗れまいというところがあった。闇にまぎれて便乗するにしろ、ステップをてらすライトといった感じである。
闇のくらさは何にたとえよう。ふつう人の生活からひきあげられた便乗は、底の見とおせない独占資本とそれにつながる閣僚・官僚生活の黒雲のなかに巻きあげられて、魔もののようにとび交っている。
この頃、新聞に閣僚や官僚の不正利得が摘発された記事がでるようになった。罪のない新聞の読者は、もしかしたら、これも日本が民主的になって、人民の正義がいくらか通る時代になったからではあるまいか、と思ってそれらの記事にも目をそそぐのではなかろうか。けれども、ここで、わたしたちがよくよく心をおちつけて見きわめていなければならない一つの事実がある。それは、一人の次官、あれこれの社長、社会党の誰彼が法廷に出て不正行為をあばかれ、責任を問われようとも、それは、東京裁判における東條英機その他の被告が、きょうの社会にもっている関係に等しいという事実である
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