立場にたっているような身ぶりをしながら、実質は保守党とあらそって独占資本の番頭であろうとし、利をうかがってぬけ目ないことも、商売がたきとして見ればうすぎたない態度と見えよう。
 永年の間あらゆる誹謗でおさえて来た共産党の性質が、まだ人民層にすっかり理解されつくさない間に、人民の日常感情がそこまで民主的になってしまわない間に、社会党にも絶望させられた民衆のあきらめた一票を、いそいで保守に集めてしまおうとすることは、果して誰も考えつかない種類のことだろうか。社会党を盗人の巣のように思わせ、そこにスポットを当て、わやわやと目に見える光景にばかり気をとられているうちに、日本の生産はいつの間にかポツダム宣言で武装放棄したにかかわらず何人かのために軍需化され、五年後には主要食糧生産の増加率よりも鉄の生産率の増大が計画されているとしたら、そういうたくらみを推進させつつある権力が、より公明正大であり日本の人民の運命に対して責任をもった権力だという人はないであろう。

 歴史はくりかえすとよくいわれるが、社会の動き、国際関係のいきさつの実際をこまかに注目してみれば、歴史というものは決して端から端までそっくり同じという現象を二度くりかえすものではない。この事実は、一九一四―一八年の第一次ヨーロッパ大戦と一九四一―四五年の第二次ヨーロッパ大戦とをくらべてみればよくわかる。第一、二十五年間に武器の発達したことはどうだったろう。武器が発達し、航空能力が発達したことは、戦場を無限に拡大した。戦場が拡大されたということは、現代の戦争が決して軍隊と軍隊との間に行われる武力闘争ではなくなったことを示した。明治以来、満州や中国へいくたびも侵入して、さまざまの残虐行為を行いながら、海をわたって日本へかえってくれば、あの土地で行った悪虐ぶりは知らない顔で一等国になったと威張っていた日本軍閥――資本主義は、太平洋戦争の拡大された戦場の経験で、はじめて日本の人民に、戦争のむごたらしさと戦争の非人道的な性格を実感させた。
 権力をもつひと握りの人が、自分たちの階級の利益をむさぼって戦争を挑発したり、戦争を命令したりすることが、どんなに人類の道義にそむく行為であるかということは、近代武器が発達しきっているこんにちでは、戦争が決して軍隊の仕事ではなくなっている現実によって決定されている。女子供、年寄りから病人、赤ん
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