きした精神をもって生きていて、批判と主張と希望とをどっさりもっている人として、今日の現実から感じとることがないはずはありません。その考えなり、感情なりを大衆的に表現して職場仲間よりももっと広い階級感情にアッピールし、その反響を自分にも受けとって激励を感じることは、果して意味の小さいことでしょうか。通信を書くという仕事は、文学の基礎体操のようなものです。そこでは、事件そのものがその本質において語られ、その本質が働く人民の生活にどんな影響をもっているかということが発見されていればよいのです。このことは通信を書くという仕事が、広い多面な闘争についてお互いに知り合い励まし合うばかりでなく、正直に通信を書こうとするわたしたち一人一人に、現実を正確に観察して主観的な誇張なしにそれを書いてゆくというリアリズムの大切な訓練を与えます。民主主義者にとって、革命家にとっては現実をそれがあるよりも大きくもなく小さくもなくつかんで、そこから見通しをたててゆくということは、過去のブルジョア政治家、ブルジョア文化人、ファシストのもてない根本的な武器です。もっとも高いこういう文化性は、もっとも高い政治性に通じます。
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