のひとくちに咎めるにはいじらしい人間的権利への憧れがあった。福沢諭吉が活躍した明治の開化期の、人の上に人のあることなし、人の下に人のあることなしの理想は、武士階級と町人資本との結合した太政官政府のひどい藩閥政治から、ひきつづく官僚の横暴、男尊女卑の現実などで一つ一つと破産させられた。万機公論に決すべし、という五ヵ条の誓文は、自由党という政党を弾圧し、言論取しまりの警察法をつくって、そのあとからあらわれた。明治開化で士族平民の別なく人おのおのその志をのぶべし、という理想は実現するにあまり遠かった。
けれども、徳川の封建的権力がくずれかかった幕末に、日本中に横行した悪浪人の暴状と、相互的な暗殺、放火、略奪に疲れていた町人、百姓、即ちおとなしい人民階級は、ともかく全国的に統一した政権の確立したことに安心した。士族の町人、百姓に対する斬りすてごめんのなくなったことを徳とした。地頭・庄屋に苦しめられた人民は、日本に法律ができ、それによって裁判ができるということに一歩の合理性を認めた。武士階級の若い世代は「手討ち」のなくなったことをよろこんだ。飛脚でない郵便ができたことは珍しかった。それらすべて
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