かれた繃帯で、わが良人、わが子のもがれた手足がくるまれ、目しいた眼が包まれることで、日本の女性の苦悩と疑惑とが感涙によって洗い流されなければならなかった。恩賜の義足、恩賜の義手、何という惨酷な、矛盾錯倒した表現であろう。民草、または蒼生と、ひとりでに地面から生え、ひとりでに枯れてゆくもののような言葉でよばれた日本の幾千万の人民が、その命に何かの重大な価値を自覚する機会は、戦争という形でしか与えられなかった。
日本人は女でさえ、軍国的であり好戦的であるという前に、わたしたち今日の日本の心は、これまで日本を支配した権力と人民との関係の委細をことこまかに理解しなければならない。そして、以上のような人民の社会生活とその感情の現実を見出したとき、わたしたちは、これまで日本を絶対的な力で支配していた半封建的な天皇制というもののむごさを、あらためて痛感する。それは、天皇そのひとの人間性さえも畸型にしたシステムであった。天皇という偶然の地位に生れ合わせた一個の人間を不幸にするシステムであり、しかもその人をその特殊地位に封鎖して、その人にその身の不幸を自覚させず、人間ばなれした日常から脱出しようと焦慮することさえ知らせない一つのシステムであった。知らしむべからず、よらしむべしという徳川幕府の政治的金言は、天皇制運営者たちによって、人民にあてはめられて来たばかりでなく天皇そのひとの生涯に適用された。天皇一族の経済的なよりどころは資本家、地主としての日本の資本主義の上にある。その帝国主義の段階の侵略性で、戦争をくりかえす。しかし、天皇は国民のためと教育され、人民は天皇のためと教育されて来たのであった。
最近の十数年間、特に太平洋戦争がはじまってからの五年間にわたしたちの経験した辛酸の内容をつまびらかに観察すれば、最後のあがきにおいて以上の諸関係がどんな程度にまで亢進し、ついに破局したか、明瞭である。
日本の社会心理の最底辺にとって、戦争が投機的な災難、勝てば得する式にうけとられていることが、日本の資本主義権力にとって、どんなに便利であったかということは、日本の権力が明治二十八年以来行ったそれぞれの戦争にあたって、すべての戦争反対、平和運動を禁止し、処罰してきたことでよくわかる。明治初期の婦人作家大塚|楠緒《なお》子の詩「お百度詣」は、決して太平洋戦争の日、お百度詣りをしていた母や妻
前へ
次へ
全13ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング