な当時の社会輿論のなかで、政府が宣伝する開戦理由をそのままのみこんでいたばかりだった。政府の大本営発表を信じたばかりだった。そして、政府が表明した勝利の終曲と、その勝利によってもたらされたと教えこまれた日本の世界一等国への参加をよろこんだだけであった。これら三つの戦争は、そのときどきの英雄大将を生みつつ一方では日本の街頭に廃兵の薬売りの姿を現出し、一将功なって万骨枯る、の思いを与えた。けれどもそれらの人々の犠牲で戦争に勝ったおかげで[#「戦争に勝ったおかげで」に傍点]日本は一等国になれた、という感情が一般のこころもちであった。封建的な日本の気持では、世界の座の順位で一等国になったということを、素朴にいわゆる国民の誇りと感じた。黒船が来て、井伊直弼が暗殺されて、開港した後進国の日本が、ヨーロッパ資本主義列強に伍してアジアで唯一の一等国になったということは、どんなに複雑な明日の日本の立場を暗示するものか、ということは一般の感情には感じられなかった。
明治以来の日本の心に伝統となった戦争に勝ったおかげ[#「戦争に勝ったおかげ」に傍点]という底流れを、こまかに触れてみれば、そこには日本の人民のひとくちに咎めるにはいじらしい人間的権利への憧れがあった。福沢諭吉が活躍した明治の開化期の、人の上に人のあることなし、人の下に人のあることなしの理想は、武士階級と町人資本との結合した太政官政府のひどい藩閥政治から、ひきつづく官僚の横暴、男尊女卑の現実などで一つ一つと破産させられた。万機公論に決すべし、という五ヵ条の誓文は、自由党という政党を弾圧し、言論取しまりの警察法をつくって、そのあとからあらわれた。明治開化で士族平民の別なく人おのおのその志をのぶべし、という理想は実現するにあまり遠かった。
けれども、徳川の封建的権力がくずれかかった幕末に、日本中に横行した悪浪人の暴状と、相互的な暗殺、放火、略奪に疲れていた町人、百姓、即ちおとなしい人民階級は、ともかく全国的に統一した政権の確立したことに安心した。士族の町人、百姓に対する斬りすてごめんのなくなったことを徳とした。地頭・庄屋に苦しめられた人民は、日本に法律ができ、それによって裁判ができるということに一歩の合理性を認めた。武士階級の若い世代は「手討ち」のなくなったことをよろこんだ。飛脚でない郵便ができたことは珍しかった。それらすべて
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