いる過去のブルジョア勢力の比率につれて、文壇にブルジョア的影響をある時は強く、今は次第に弱く与えている。
 だから、日本のようにブルジョア勢力がもう新鮮な文化的芽生えは持っていないにしても、まだ広汎に存在しているところでは、文壇がハッキリ二つに分れ、何とかして生き長らえようとするブルジョア文壇、大衆の意識のハッキリしてくるにつれ、階級闘争が尖鋭化してくるにつれて、力を磨き、根を張り、伸びてくるプロレタリア文壇と対立しているのは当然のことだ。ブルジョア作家は、昔から手馴れた技術を専一に、或は新興芸術派のように商品的新形式探究をやりながら、プロレタリア文壇に吼えつく。しかしプロレタリア文壇はその喧嘩には応じない。
 みな忙しい。みな貪慾に、ブルジョア文壇の完成した技術的遺産を新しい自分達の武器の一つとして利用しようとしている。余すところなく学び取ろうとしている。それは、プロレタリア大衆があらゆる技術を自分のものとしようとする旺んな意思の一つの現われだ。或る時期が来れば文学を支配するものはブルジョア作家でないことは判り切っている。
 これは、「ナップ」中條の一つの予想ではない。今日すでにその階梯が、対立する二つの作家団の日常の文学的行動にあらわれている客観的事実だ。[#地付き]〔一九三一年五月〕



底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「時事新報」
   1931(昭和6)年5月17、18日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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