のブルジョア文壇が、世界的新興勢力を文化的に代表するプロレタリア文学に対立している以上、文壇的ブロックはただいわゆるどこに在るか判らない文壇という壇上に止ってはいない。ハッキリ反動勢力の御用をつとめていることになる。無意識的にでもその事実は否定出来ない。どこの国でも文壇の状勢はきっちりその時の、その国の政治経済状勢と結びついて変化している。
例えばソヴェトの文壇についてもこのことは明瞭に云える。一九一七年から二〇年までの、国内戦の後、ソヴェトはレーニンのいわゆる「勝利のための退却」をして国内産業へ個人資本の流用を許した。有名な新経済政策時代が現われた。そしてこの経済的変化はソヴェト文壇に深い影響を及ぼした。
二
国内戦当時から、ソヴェトには、新しいプロレタリア作家が、どんどん現われた。農民の中から、赤衛軍に参加して銃を取り工場を守った労働者の中から、それ等の人々は技術的には未熟だが、これまでの世界に在った文学を根本から修正した階級的立場から、文学活動を始めた。
ところが、新経済政策は個人資本を認めた――云い換えれば、金を持っているブルジョア的人間の趣味、感情がまた再び社会生活の表面へ浮き上って来たことを意味する。この時代は闘士でも非常に煩悶し、プロレタリア作家の間でも苦しんだものが多かった。何故なら、その新経済政策と一緒に文学其他一般芸術の上で、同伴者作家によって代表されるブルジョア趣味が、蔓り始めたからだ。一九二八、九年五ヵ年計画が着手される迄、ソヴェト文壇の有力な作家団と云えば、事実上同伴者作家団だった。
五ヵ年計画は、ソヴェト経済の社会主義的建て直しだ。農村でも都会でも、内閣そのものの中でさえも、五ヵ年計画完成のためにあらゆる方面の階級的見直しをやった。大衆自身が、また新しい力で自身の行くべき方角と取るべき態度を考え始めた。
そこで、当然文学の再吟味も行われて来た。どうも、われわれの階級的熱情や苦痛を同伴者文学は一向あらわしていない。それどころか、ソヴェトが建設しようとしている方向とは、逆な方へ目をつけているではないか、ということになって来た。――そこで、これまで実力を次第に養って来たプロレタリア作家団が、大衆と共に文化戦線の第一線に立つようになった。社会の基礎が社会主義的なソヴェトにおいてさえ、新しい芸術組織の中に割り込んで
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