た息子からの霊界消息をまとめて本にだした。それは「つまり魂が不滅でありますことのあかしを立て、ヨーロッパ大戦争で愛する者を失いました幾十万の母や恋人にこの本をおくったのでありました。」しかし、これはほんとに人間的な不幸へ抵抗する方法だろうか、息子を殺すな! 愛人を殺すな! と幾百万の女を奮い立たせるためでは、決して決してなかったのだ。ブルジョア文学はブルジョア階級のがたつきと一緒に、美のうちにあるべき正しいいきどおりという理論を失っている。そして、ブルジョア文化用具としてのブルジョア・ジャーナリズムの命じるままに、片々たるエロチシズムとナンセンス文学をつくって来た。ところが、階級対立が激化し、帝国主義戦争=大衆の大量的死がブルジョアジーにとって必要となってくるにつれ、文化のいろんな部面に神秘主義が現れて来ていた。
 今年になって、沢山の婦人雑誌が特別附録として、「迷信」「占ない」などの記事を盛んにもりはじめた現象と、この「抒情歌」との間には、切っても切れない血のつながりがある。
 ロシアの一九〇七年反動時代に、インテリゲンチアの間にどんな盛んな勢で心霊問題がとりあげられただろう!
「ゼーロン」を書いてロマン主義へ逃げ込んだ牧野信一にしろ、この「抒情歌」の作者にしろ、ブルジョア・インテリゲンチアが政治的危機においては、その紛糾をいとわしいものとして避けようとする意図しかないにしろ、客観的には自覚された悪意はないにしろ、階級的にどういう危険に誘われるものであるかということをまざまざと示しているのだ。

 後記[#「後記」はゴシック体]
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 一九四九年四月。選集第十巻に収録するためにこの文章をよみかえした。そして、作者と読者とのためにこんにちでは、短い附記の必要を感じた。川端康成は一九一四年(大正三年)ころから作品をかきはじめ、一九二二年(大正十一年)「伊豆の踊子」によって、独特な抒情性のきよらかさと描写の美しい明瞭さを高く評価された。一九三二年「抒情歌」の書かれる前後、この作家は新感覚派に属していた。一九三一年の「水晶幻想」はこの作家の創作系列の中で風の変った一作であり、新感覚派的手法の試みであり、またこの作家の資質にとって不自然な作品の一例とみられる。「水晶幻想」は即物的な表現のうちに、素朴な唯物的実在の感覚と心理のニュアンスを綯《な》いあわせた
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