ア作家のうまさということをいい、われわれもああいうものを書かねばならぬという意味をいっていた記憶がある。
 われわれは、たしかに、うまい、面白いものをどしどし書かなければならない。けれども、その面白さ、うまさが万が一にもブルジョア大衆作家の持物と同じ種類であったとしたらそれは問題外だ。
 われわれはこの経済恐慌による支配階級のファッショ化に対して、失敗の中から起き上り起き上り、勇ましく闘う未組織大衆を書くだろう。だがそれを書くプロレタリア作家自身の観点が未組織大衆の観点であるということは許されないのだ。[#地付き]〔一九三二年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「東京朝日新聞」
   1932(昭和7)年1月28〜31日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全9ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング