、とがんばって肯《がえん》じなかったというのである。
今日ソ同盟の社会的業績に対する関心の中には、この極端な一つの実例が暗示しているような感情の方向をも包括していると見るのが妥当なのだろう。
ジャーナリズムのこの流行の潮にのって『文芸』八月号に勝野金政なる人物の「モスクワ」という一文がのっている。勝野金政という署名で嘗て妙なパンフレットが書かれた事実は世間周知である。「モスクワ」は小説として発表されており『文芸』の編輯者はモスクワかえりの「作家」として紹介しているのであるが、作家というのは何でも彼でも文字を書くものを総てひっくるめて呼ぶ名ではないのである。佐藤春夫氏は『文芸春秋』の社会時評に「諸共に禽獣よりも悲し」といい、ジャーナリズムが社会的効果に対して無責任であることを指摘しているが、もし現在のジャーナリズムにそのような弱いところがなかったならば同氏によって『文芸』に推薦されたと仄聞《そくぶん》する勝野金政の小説などは、烏滸《おこ》がましくも小説として世間に面をさらす機会はなかったのである。
「※[#「さんずい+墨」、第3水準1−87−25]東綺譚を読む」という『文芸』の文章の
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