用して、そのような動的形態の中に脈々と燃える人間精神の不撓な前進の美を感得することは、何故これらの批評家にとってこれ程まで感情的に承認しにくいことなのであろう? これらの人々の内心がどんなカラクリで昏迷していればとて、文化上のガンジーさんの糸車にしがみついて、人類の進歩をうしろへうしろへと繰り戻して行きたいのであろうか?
亀井氏の説に従えばレーニンは未来を担う子供達を愛称しながら「遙かなる憧れ」としてそれを抱いていたから「スターリンは権力をもってマルクス・レーニンの芸術的意志を民衆に強制すべきである。マルクス・レーニンの次に来るものは奴隷なき希臘《ギリシャ》主義者ネロでなければならない」のだそうである。「文化の再生には、必ず憑《つ》かれたもの、狂信者、専制者を必要とする」と断言されるに至って、人々は一陣の無気味な風を肌に感ぜざるを得ないのである。
何と解するかの問題
同じ「文芸批評の行方」という『中央公論』の論文の中で小林秀雄氏は、この半歳以来世間が「文学界」的空気と目して来ている一種の政論的傾向に対する弁解として「文学的思想が、種々な条件からどんなに政治的思想
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