て、作者そのものが、一箇の幽鬼であることを告白している。しかもそれは紙ばりの思想的凧に縛りつけられて下界に向って舌を出しながらふらついているオモチャの幽鬼である。
 ダンテの神曲が、後代の卑俗な研究家によって地獄、煉獄、天国の地図をつくられているのにならって、小樽市の現実的な地図などを小説の間に插入している作者の人をくった態度は、唾棄すべきである。或は、小林秀雄氏の所謂「象徴的価値」としての文学的思想の一箇の好典型であるとすれば、作者伊藤氏は少くともこの世に二人の支持的批評家[#「批評家」に傍点]をもち得ることになる。その中の一人に批評家としての自身を考えて。――
 批評と創造との仕事が一人の芸術家の内に小林氏のいうように「ディアレクティック」な作用で存在し得るためには、少くとも批判の精神と規準とが、或る場合その芸術家の主観をも超えて鞭うち、観察自省せしめ、引き上げるだけの勇気ある誠実な客観性を具《そな》えていなければならない。主観に甘えた批評の態度が創作の芸術価値を低下させる実例を、伊藤整氏はまざまざと我らに示しているのである。[#地付き]〔一九三七年七月―八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「中外商業新報」
   1937(昭和12)年7月30日〜8月1日、3日、4日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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