昨年二月の二十六日に東京駅前の大通りをずっとつき当りの広場の方へ通った通行人は、あちらを背にして、駅に向った方に前面を向けて整列している一団の兵を、余程後になってから、「今からでもおそくない」と云った方ではなくて云われた方の側であったことを知ったという噂をきいたことがある。
文学の古典研究の陣立てに、こういう兵法のようなものを思い泛ばせるというのは、評論家である保田氏として誇るに足ることであるだろうか。
二三年前、文学における古典の摂取が云われはじめた時分は、プロレタリア文学運動の退潮を余儀なくさせた社会事情が他面対立的な文学にも貧困の自覚を与えており、それに対して文芸復興が唱えられ、古典の摂取は、当時にあっては、現代の文学的発展のための一助として、教養として云われていたのであった。
その頃に於ても、古典をどう今日の文学に摂取してゆくかという態度については当然二様の立場があった。その一つは古典が文学として発生した歴史性を立体的に咀嚼して、そこからの滋養分を摂取してゆこうとする発展的、批判的摂取の態度であり、他の一つは、それとは反対にどちらかと云うと外部的に、様式、文脈の応用を狙ったような古典のひもときかたをしてゆく態度であった。後者は、前方への進展の見とおしとその社会的なよりどころを見失った文学の懐古的態度として現れたのであったが、時代の急激なテムポは、微温的な懐古調を、昨今は、花見る人の長刀的こわもてのものにし、古典文学で今日の文学を黙せしめようとするが如き不自然な性格を付加して来ているのである。
二 国文学のもつ地の利
日本文学の古典が、今日の文学の現実的な進みを助ける力としてよりも、寧ろそれを制しとどめるような力として持ち出されて来ていることについて、一部の社会情勢がしからしめていることは勿論云うまでもない。真実の新しい希望や生活の見とおしを失った人間が過去だけを貴重なものとして自他に向ってその記憶をくりかえす事実を、私たちはまざまざと日常の実際の中で見ている。だが、今日国文学が文学研究の態度から見れば全く不健全な人為的隆盛めいた状態におかれ得る事情に、日本の諸文学研究の伝統中、従来国文学が最も弱い環の一つであったこと、そして、そこに向って今日文学外の力がかかって来ていることは特別な注目に価することではないかと思う。
国文学の研究
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