種の雰囲気が揺曳しているのである。
 日本の文学は、変りつつある。生活がこのように変って来ているのであるから、文学が変らないことは寧ろあり得ない。既にその機運というか、予感は、きのうきょう以前にすべての文学を愛す者の感覚に迫って来ていたのである。
 日常生活の緊張から云っても、複雑さから云っても、刺戟のつよさから云っても、人々は文学にこれまでより肺活量の多いものを、生活力の旺《さかん》なものを要求する心理にある。一口に云って、従来の作品より規模の大きな、感情に於ても局面においても人生のより深いところに触れた、度胸の坐った作品が求められているのである。
 ところが、月々現われる作品の現実に即して見ると、そういう一般の要求を直接反映している作品というものは殆ど見当らない。素朴な、発芽的な形態においてさえもすくない。却って唐紙に墨で描いたような上司小剣氏の「石合戦」が現われたりしている。これは何故であろうか。或る種の人々はこれまでの作家の怠慢さにその原因を帰するけれども、果してそれだけのことであろうか。社会性は益々濃厚に各方面から各人の上に輻輳して来ているのだから、作家がそれを感じない筈もな
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