文学の大衆化論について
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)抑々《そもそも》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)自己|蝉脱《せんだつ》は出来ないのであるから、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)大衆への愛[#「大衆への愛」に傍点]に期待するよりも
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昨今、作家が一般大衆の生活感情と自分たちとの繋りについて関心を示すようになって来ると同時に、文壇を否定する気分がはっきり云われはじめた。文壇は作家も文学をもちぢこませてしまう、広々とした、流動する民心とともにある文学を創るために文壇は既に害あって益ないところであるというのがこの主張の論旨である。
日本に文壇というものが皆にわかる一定のまとまった形で出来たのは、自然主義文学の擡頭以来とされているようである。抑々《そもそも》文壇の発生の初めは、当時の文学者たちが当時の社会の旧套、常套が彼等の人生探求の態度に加えようとする制約を反撥する心持の、同気相求むるところからであったろう。硯友社時代の師匠、その弟子という関係でかためられた流派的存在、対立が、各学
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