である。
 私はその言葉を非常にあれやこれやの面から、印象深くきいた。狭い文壇的気流の匂いだの、ゴシップだの、競争だの、いりくんだ利害関係だのから、作家同士或は作家、編輯者との間からは、世が世智辛くなるにつれ、率直さや朗らかさや、呵々大笑的気分は消失して来ているであろう。その内輪で、どちらかと云えば神経質な交渉の反覆を日頃経験している人々が、そういうこまかい利害からは埒外にあって、しかも今日の世の中では文学の仕事にたずさわる者に対して高飛車な朗らかさと率直さを示し得る背景の前にいる人々を眺めたら、一応それらの面が強い刺激となって感受されるのだろう。それを、単純にいいところと云ってしまえるものかどうかということは、自ら又別なのである。
 従来の文壇と作家気質とは、それ程作家の感情を偏した特別なものにして来ている。文壇的文学を主観的傾向のものであったと見ることが出来るならば、現今云われている文学の大衆化は、文学の客観的価値の押し出しである。そうであるとすれば、作家は益々、社会における人間の客観的な関係、価値、意味などの有機的な結合の末で、それぞれの人間性の発露というものも捕えることを学ばな
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