ければならず、それに練達しなければならない。客観的に描くということが、傍観的態度を意味なさないことはこれも亦自明である。
文学の大衆化ということについて真面目に念願する人々は、自然、現在の既成作家の大衆への愛[#「大衆への愛」に傍点]に期待するよりもより分量の多い期待を、大衆の中から新しく生れ出て来ようとする文学に新部隊にかけざるを得ない心持だと思う。
今日まで、いつくかの賞で新人として出された新人の種類でない新人。新人候補としてそれ以前久しく文壇的摩擦をうけた人でない人たち。そういう人を期待する感情がつよい。そのことは、素人作家という未熟練な質と結びつけて考えられ勝で、既に素人作家は御免であるという声もきこえている。
作家であって素人なのは困るけれども、社会生活では大衆の一員として或る一定の職業をもち作家を職業としてはいない若い人々の作品が、その文学的発展の方向において、文壇的ではない、文学的方向に導かれる気風が興らなければならないと思うのである。
現代の青年の間に、文学の仕事を愛し、それをやってゆきたいと思っている人は決して尠《すくな》くない。しかも、その望みの内容というか動機というか、スプリングとなっているものは、嘗てロマンチシズム時代の青年が、新しき世ひらけたり、という風な激情を身内に覚えて芸術を求めてゆくのではなく、勤め先、家庭、この社会での自身の一般的境遇に何か云わずにいられないものを感じていて、そこから文学をやるしかないと思っている人々。又、現代社会の経営的機構は一個のXなる青年の生涯を冷酷な一部分品、しかも消耗したら手軽にいくらでもとりかえることの出来る部分品としてだけ扱っているので、謂わばこの世に自分という人間の生きているという固有名詞をせめて印刷物の上にでも主張したいという、名誉心と云っては言葉が大きすぎるような感情から、比較的個人の才能にしたがって道を拓くことの可能が残されている文学の仕事に心をひかれている人々等があるのである。
政治、経済、軍事上に自己を発揮する機会をもっていない半島の青年たちが、近頃盛に音楽、舞踊、文学の分野に努力を傾けている。この現実と、以上のような青年たちの文学を愛する感情の底にあるものとは、私たちに何事かを考えさせずには置かないのである。
ところが、現在職業をもたなければ、経済的に困る若い人々は、文学との
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング