許事務所長佐野昌一氏は海野十三氏であり、医博の正木不如丘氏はそのままの名でいろいろ作品がある。これらの科学を専攻する人たちの書くものが、日本ではいずれも探偵小説にとどまっているというのは、どういうわけであろうか。ヴォドピヤーノフのように万腔の科学性が万腔の人間的諸要素と結合して、空想そのものが巨大なリアリティーへの可能の導きであるような小説が決して書かれずに、科学を種とする人間の想像力というものが、架空な、知識の遊戯である探偵小説のなかに浪費されていなければならないという或る意味での不幸は、私たちの呼吸している文化のどういう性質によるものなのであろうか。
科学上の知識が、その人々の天性に豊かにめぐまれている、創造、想像の力と結びつこうと欲求されるとき、本質としては架空に主観的にシチュエーションをきめて物語を展開させられる探偵小説へ表現をもとめてゆく第一の理由は、今日の文化感覚のなかでまだ科学と文学とが、一方は非人間的な、純客観的なもの、一方は人間的な主観的なものという二元的観念の支配がつよく存在しているためであろうと思う。社会の一般文化の現実が比較的貧寒であって、科学の諸分野そのもの
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