等に関する評論や作品活動は、一人の文学者としてむしろ多面的な執筆活動であると思います。
二 わたしが紫式部を自任して、傲慢、うぬぼれ、天狗の自己陶酔にいて、こたつ[#「こたつ」に傍点]にはいったような生活をしているというような極端な罵倒は、わたしの生活、作家的努力の実情を全く知らない偏見に立ってだけ言えることだと思います。
まず紫式部を自任している云々ということを、ごうまん天狗の象徴として強調されたようです。しかし、どんな階級的作家でも十一世紀の宮廷婦人小説家に、わが身を模して満足しているような錯誤した歴史感はもっていまいと思います。事実は、都の教育委員会への立候補を求めて故服部麦生氏などが来訪されたときの話がゆがめられ誇張されたものです。
これまで、日本の権力は外国に示す日本文学の典型というといつも源氏物語ばかりひっぱり出した。しかし、こんにち党と民主主義文学運動は、日本人民のものとしての新しい大作をもつべきであり、もたなければならない。世界の革命の一環としての日本の革命的人民の文学をもたなければならない。それはわれわれ革命的民主主義作家の任務なのだから、いまはわたしに文学
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