ろうか。
山本有三氏は或る意味で大衆に愛読されている作家である。しかしそれは、志賀暁子の公判に検事が「女の一生」にふれたからではなくて、山本氏が氏としての誠意と研究とをもってこの社会に対している真実さが、読者とこの作者とを繋《つな》いでいるからである。スタイルだけのことではない。
作家も民衆の一人として、知らしむべからず風な境遇におかれていることについて、林氏もふれている。氏は、そのことで益々大人になること、知る境遇になりたいことを刺戟されている模様である。同じような点に、島木健作氏もふれている。島木氏は、今日の作家のそのような姿こそ、そのままで却って積極的なものを語る場合がないとは云えないと云っている。唐人お吉が自分の惨めな生存そのもので当時の社会に抗議しているように、作家の惨めな姿そのものが抗議であると。
だが、このことも、自身の置かれている境遇を自覚し、抗議として生存している明瞭な意欲と、それに応じた動きがあって客観的になりたつことであると思う。
日本の文学は明らかに一つの画期に来ているのであるが、「抽象的情熱」によって日本的なものを探求しつつある作家たちが、生活の必要
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