ては、独特な花を開かざるを得なかった。その精神史においてまだ一度も人間らしい人間としての自覚、活動の歓喜を味ったことのない日本の知識人の生活感情の裡には、綿々として尽きず、人間性において成り成らんとする意欲が蠢《うごめ》いている。日本の自然主義作家が、一度は確立された自我に向って振う痛烈な自己の鞭打の精神力をもち得ず、低く日常茶飯事を観照し写実的作用を営むところに定着してしまった(田山花袋)のは、理由ないことではなかった。
 明治四十年から十年間に亙る旺盛な文学活動において、夏目漱石は日本文学の上に初めて、自我を批判する目をもった自我の姿を提出した。人間性のひき上げてとしての人間性観察者・批判者としてのインテリゲンツィアの意義と任務とを、漱石は作品の裡に強烈に描き出した。明治四十一年首相西園寺公望が、文士を招待して雨声会を催した時、漱石はその招待を「時鳥厠なかばに出かねたり」の一句を送って出席しなかった。漱石は日本の伝統である官尊民卑が文学の領域にまで浸潤することを快く思わなかったのであろう。感想に、文学の事がききたいのならばそのことではこちらが師匠である、そちらから出向いてしかるべし
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