ばならないことを、身をもって感じている。男友達と映画や芝居を見に行ったり、泊りがけのピクニックにでかけたりすることも、職場で若い女性が男性と一緒に働いて、一緒に組合運動をして、一緒に働くものの青春を守っているのだから、当然一緒に青春を楽しむのだというたてまえが主張された上での行動として、されてもいるだろう。おそらく彼女は、冒険をさけてばかりはいない性格であろうし、刻々の条件のなかで楽しさをひき出し、自分とひととの愉快のために雰囲気をつくるかしこさも持ちあわしているだろう。そういう面から見たとき、彼女は婦人雑誌でいう教養も、話題に困らないほどはゆたかで、女として人間として活溌であるものの面白さを自分の身に添えて表現する技術も理解し、わきまえている近代的[#「近代的」に傍点]な若い婦人であるということが出来よう。
 しかし、この頃よくあるように、家庭のある男の人と恋愛めいたいきさつがはじまったようなとき、あるいは、そういういきさつが自分の人生に起りかかっているのを自覚したとき、そのひとは、現実の人生問題をゆたかな文学的教養とむすびあわせて、どのように身を処していくだろうか。トルストイの小説
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