場の労働者の生活にあらわれている。フォードの極度に合理化された能率増進の分業では、一つずつの作業に、人間として最大の能力を発揮する労働者が配置されている。そのかわり、万一その労働者がその職場を追われると、彼はもうどこでも働きようがない。彼は自動車製造という長い全面工程のたった一つの小部分にだけ精通し、労働の全能力がそこに規画されていわば精巧なかたわ[#「精巧なかたわ」に傍点]にされてしまっているから、ほかのところでは役にたたない。フォードの労働者が、不景気につれて案外に低賃銀をうけ入れ、労働時間の短縮をうけいれなければ生きてこられなくなっている原因はここにある。
 人間的な労働条件はチャプリンの喜劇に示されたような人間性の機械化から、人間を解放しなければならない。文化の面でも、商業ジャーナリズムについても同じことが云われはしないだろうか。社会労働と文化の全面で、わたしたちは、まともな人間一個としての生活にふさわしい統一と釣りあいをとり戻すためにたたかって行かなければならない。その意味から云っても人民の生活エネルギーのうちにかくされ、眠らされている能力が、新しい社会感情と文学の上にめざま
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