、半失業者がふえて一種の性的飢餓の心理がある。だから両性関係は混乱するのはさけがたいとされる見かたがある。その同じ理由からエロチックな中間小説が氾濫するといわれてもいるが、人生を大切に思っているすべての人の心には、このみじめな循環法にたつ説明だけでは納得できないものがある。こんな男にとっても、女にとっても不幸な混乱をそのままにうけとっているだけではいられない気持がある。率直に人生のよろこびの泉として性をきらめかせたいと願う者は、人間としての愛とモメントからきりはなして考えることができない。女にとって男を殺し、男にとって女を殺し、半ばひらいた美しい人間の精神とその性を殲滅する戦争こそ拒絶しずにはいられない。性は母性父性にまでひろがって、人間の性の正当なあつかいかたを求めて叫んでいると思う。精神の解放の証拠としての肉体解放というならば、それはとぐろをまいた肉体文学を突破して、先ず性の根元である生命の人間らしい愛と、その自主性の確立――少くとも戦争と失業のない社会を主張するために闘っている肉体の行動が、現代文学のうちにとらえられて自然だと思う。
実さいではみんながそういう風にやっているのだ。組合の活動にしろ戦争反対、ファシズム反対を持するこころもちとその行動、金でいえば五千円の越年資金を闘いとる行動にしろ、みんなその本質は解放を求める人民としての精神が、肉体の行為によってしめされたものである。だのに、どうして文学ではこの実際であるとおりにとらえられないで、肉体の行為が性行為への興味にしか集中されないのだろう。へんなことではないだろうか。このことは今日の私たちが、生活と文学における自分の肉体の新しい価値、新しい美を見出し、未来のミケランジェロのために、深く追求してゆくべき点だと思う。現代の進歩的な文学が肉体の叫びの新しい局面をその文学的実感の中にとらえてゆくことは、私たちが思っているよりも重大な意味をふくんでいると考えられる。
ストライキ一つをとってみても、そこに幾十幾百幾千の男女のなまなましく生き、軟く、暴力には傷けられる肉体がある。その肉体の一つ一つが一つ一つの人生を支えている。或は一つの肉体によって数人の生命が支えられてさえいる。労働階級にとって肉体と人生との統一のきびしさは、労働力を売って生きて行かなければならないというおそろしい緊張のうちに示されている。パンを
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