前進的に社会的に解決してゆこうとする張りあいのうちにしか、いわゆる幸福とか歴史的価値への信頼というものはないことをも発見してゆくだろう。
 このような一つの例は、小説を書こうとする若い女性に、あるいは若い男性に、文学の創作方法がもっている生きた歴史を会得させるきっかけにもなるかも知れない。平凡な物憂い夫婦生活と、はんこで押したような勤め先の仕事。そのものうさを人生の姿としてそれなりに訴えずにいられなくて、書きはじめられた小説が、考えすすみ書きすすむままに、やがて次第にすべてそれらのものうさの原因を、主人公の内部にあるものと、外の社会とのありかたとの関係のうちに批判をともなって、発見されてゆきはじめる。リアリズムは批判的なリアリズムと成長しずにいない。そして、その批判が、組合の仕事や日本の国内、国外の社会事情についてより科学的な知識をひろげてゆくにつれて、愛情そのものさえ歴史の脈動とともに性格づけられるものであることが発見されてくる。ただイデオロギーとして社会主義が分ってきたばかりでなく、人間は幸福を求めているというなまなましく根強い実感、熱情そのものとして個人の人生も歴史の展望の中に見とおされて来たときの社会主義的リアリズムの創作方法。
 文学の創作方法が社会の歴史の発展につれて、階級社会の認識の確立とともに、そして新しい形態での人民社会の建設の成果とともに、一歩一歩とより広い展望におしすすめられて現在に至っていることは、一人の個人の社会と人生と文学の世界の見とおしとひろがりについて見ても、実によく分る。今日の社会で過去の私小説の現実のつかみかた、書き方では、主人公一人の実感さえ、それが現実にある複雑さではとらえきれなくなっている、これは明瞭である。
 現実のいりこんだ関係がこんにちのように複雑になると、これまでのせまい創作方法ではその全部の内容をいちどきにつかみとることができなくなって、リアリズムなんかは古くさい、何かもっと現代をがっしりつかむ創作方法を、という要求も起る。日本のジャーナリズム小説の大半を占めている風俗小説――中間小説とよばれている作品の作者たちは、戦後の日本のどっちを見てもバラック、ガタガタなあさましい世相を、これまでの私小説的手法ではうつしきれないと、そこからとび出た形として主張している。
 なるほど私小説、心境小説の限界は、はっきりしている。
前へ 次へ
全19ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング