ある。
みかんかりんごを買うように、これだけ本をくれと百円札を出したにしろ、その若い職工さんは、ともかく本が何か心のたしになると思って買う気になったのだろう。ちょうど、みかんは主食にならないけれど、みかんのヴィタミンは、身体にいいと知っていたように。ところが、こんにち谷崎、荷風のものなら「闇屋が買うから」といわれていることには、おのずからちがった意味がある。
作家が自分の本をいつ、誰に、何処で読まれるかということについては、これまできわめて受動的な立場にいた。読みたい人は誰でも読み、そしてまた誰でも読むということがその作家の社会的な商売的な存在のひろさをはかることでもあった。だから谷崎、荷風が闇屋に読まれるということもその作家にとやかくいうべきでない社会現象であるともいえる。なぜなら、闇屋は最近の日本の破滅的な生産と経済と官僚主義の間から生えたきのこ[#「きのこ」に傍点]であり、谷崎、荷風はそんなきのこ[#「きのこ」に傍点]の生える前からそこに立っていた資本主義社会の発生物であったのだから。
しかし作家の生きてゆく社会的感覚と作品の生きてゆき方――作品の普及される方向、出版されて
前へ
次へ
全11ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング